岩井喜一郎 竹鶴を派遣した1918年
日本のウイスキーの物語は、たいてい竹鶴政孝から始まります。スコットランドへ渡り、ノートを持ち帰り、余市を建てた人。
その物語には、送り出した側がいます。摂津酒造で竹鶴の上にいた技術者、岩井喜一郎。竹鶴が 1920 年に持ち帰った「ポット・スティル ウィスキー實習報告書」——のちに竹鶴ノートと呼ばれるもの——を受け取ったのは、この人です。
そして本坊酒造は、そのノートを受け取った側の名前を、いまも製品ラベルに載せています。

教科書を渡した側と、教科書で蒸留所を立てた側
1918 年、摂津酒造の阿部喜兵衛社長と、常務技師長だった岩井喜一郎の決定で、竹鶴政孝はスコットランドへ発ちます。1920 年に帰国した竹鶴が岩井に提出したのが、あの報告書でした。
ところが摂津酒造のウイスキー計画は、戦後不況で立ち消えます。竹鶴は寿屋へ移り、のちに大日本果汁(現ニッカウヰスキー)を創業する。報告書を受け取った岩井の側では、その紙は 20 年以上引き出しの中にありました。
岩井が本坊酒造でウイスキーに関わるのは戦後です。本坊酒造の公式沿革は、こう記しています——1949 年、岩井喜一郎の指導により、鹿児島でウイスキー製造を開始。

そして 1960 年、山梨工場でモルト原酒の蒸留が始まり、「マルスウイスキー」の販売が始まります。このとき動いたポットスチルを設計したのが岩井でした。
竹鶴ノートを受け取った男が、40 年後に自分の手で蒸留器を引いた。 竹鶴の側が 1934 年に余市を建てたのに対し、岩井の側の実装はここまで遅れます。
岩井が引いたスチルの形
岩井設計のポットスチルは、頂部が直線的に細くなるストレートヘッド型で、ラインアームが下向きです。
この形は、還流(リフラックス、気化したアルコールが再凝縮してスチル内に戻る量)を減らします。ネックに膨らみが無く蒸気が減速せず、下向きのラインアームは重い蒸気を凝縮器へ直行させる。結果として重く油分の多いスピリッツが取りやすい。
竹鶴が持ち帰った報告書が記述していたのは、1918〜1920 年当時のスコットランドの現場です。当時の主流は今より重い酒質でした。岩井が引いた形は、その時代の教科書に忠実な形だと読めます。

その形は、いまも生きています。マルス駒ヶ岳の二拠点熟成で扱った通り、岩井が引いた設計思想は現在の蒸溜所にも受け継がれています。
「岩井 トラディション」は何なのか
2010 年 6 月、本坊酒造は岩井の名を冠したブレンデッドウイスキーを出します。製品説明はこうです——岩井ポットスチルが稼働して半世紀、マルスの生みの親「岩井喜一郎」氏へ尊敬と感謝の念を込めたブレンデッドウイスキー。

ここで正直に書くべきことが二つあります。
一つ目。この製品は「販売店限定・岩井の会限定」です。 一般の棚で誰でも買える定番品ではありません。
二つ目。原料原産地は「英国製造」と「国内製造(グレーンウイスキー)」。 モルト原酒が英国製造であることを、本坊酒造は開示しています。つまりこの一本は、岩井が引いたスチルで蒸留されたモルトが中身の主役、という作りではありません。岩井の名は、中身の由来ではなく、敬意の宛先として付いています。

この銘柄について、ネット上にはかなり具体的な数値が出回っています。 モルト比率、ピートの ppm、樽の内訳、ノンチルフィルタードの有無。本坊酒造の製品ページには、そのどれも書かれていません。裏の取れない数値を並べるより、公式が開示した範囲で読むほうが、この一本には誠実だと考えます。
公式が書いている官能はこうです。複雑で心地よい香り、口当たりは優しく、柔らかいがボディーがしっかりしていて熟成感も感じられる。上品かつ重厚感のある味わい。 40% で 2,420 円という設計は、日常的に開けられる価格帯に置くという判断です。
派遣した側の人生をどう読むか
岩井喜一郎を「竹鶴を送り出した人」として読むと、脇役になります。実際にはもう少し複雑です。
竹鶴は 1934 年に自分の蒸留所を建て、以後 45 年その仕事を続けました。岩井の実装は 1960 年、竹鶴の余市から 26 年遅れます。報告書を受け取った側のほうが、実装は遅かった。 摂津酒造の計画が潰れ、辞任し、戦後に別の会社の顧問として、老いてから設計図を引いた。
これを「不遇」と書くのは簡単ですが、正確ではないでしょう。1960 年に稼働したスチルは 1992 年の休止を挟んで 2011 年に再開し、2024 年に蒸溜所は改称され、設計思想はいまも動いています。彼が引いた形は、彼の死から 60 年経っても現場にある。
竹鶴と岩井の違いは、才能や運の差というより、同じ報告書が二人の手でまったく違う速度と規模で実装されたという話です。一方は自分の会社を作って一直線に建てた。もう一方は他社の顧問として、はるかに小さな規模で、はるかに遅く、しかし途切れずに続く形を残した。
次に岩井トラディションを見かけたら、ラベルの名前が誰のものかを思い出してください。中身の由来ではなく、敬意の宛先として、そこに置かれている名前です。
主な参考資料
- 岩井 トラディション ― 本坊酒造 製品情報:公開日 2010年6月29日、販売店限定・岩井の会限定、750ml 40%、希望小売価格 2,420円(税込)、原材料モルト・グレーン、原料原産地「英国製造、国内製造(グレーンウイスキー)」、熟成地/製造所マルス駒ヶ岳蒸溜所、JAN 4976881520455、製品説明「岩井ポットスチルが稼働して半世紀、マルスの生みの親『岩井喜一郎』氏へ尊敬と感謝の念を込めた」(2026-09-02 確認)
- ウイスキーづくり ― 本坊酒造:1949年 岩井喜一郎の指導により鹿児島でウイスキー製造開始/1960年 山梨工場でモルト原酒蒸留開始・「マルスウイスキー」販売開始/1985年 マルス信州蒸溜所開設/1992年 蒸留休止/2011年 19年ぶりに再開/2024年 マルス駒ヶ岳蒸溜所に改称(2026-09-02 確認)
- 土屋守『ジャパニーズウイスキー百年』:岩井喜一郎の経歴(生没年、摂津酒造での役職、本坊酒造顧問就任、山梨石和工場のスチル設計)。本坊酒造公式は「1949年 鹿児島」から沿革を書き起こしており、顧問就任年と設計場所の詳細はこの二次資料による
関連: マルス駒ヶ岳と津貫の二拠点熟成(岩井の設計思想を継いだ現在の蒸溜所)/ 竹鶴政孝のスコットランドノート(派遣された側が持ち帰ったもの)/ 鳥井信治郎と竹鶴政孝の10年契約(竹鶴が摂津酒造の次に行った先)