Lagavulin 16 と Iain McArthur、50年樽番が見続けた Islay フェノールと、Caol Ila との半端な距離
東京の自宅、2月の夜、外気は5℃、室温18℃。グレンケアン・グラスを2脚用意して、左に Lagavulin 16、右に Caol Ila 12 を、それぞれ指二本ぶん注ぎました。価格でいうと左が1万円札の半分強、右が7,000円台。地理でいうと、その2つの瓶の原産地は同じ Islay 島の南東部、直線距離で8 kmしか離れていません。同じ島で、同じ精麦所から、同じ仕様で焚かれたモルトを使っています。
それでも、ノージングを始めて10秒で、片方がもう一方より明らかに重いことが分かります。
このギャップが何でできているのかを書きます。ピートのppmだけで説明し切れる話ではなく、still の容量、cut points、warehouse の中の50年、そういうものが混ざって瓶に降りてきている。今回は技術側の話を始める前に、その8 kmの距離を50年見続けてきた一人の名前から入ります。
Iain McArthur、1970年に Lagavulin で樽に文字を書き始めた人
Iain McArthur は1970年、まだ十代でLagavulinの構内に入りました。最初の仕事は cask stenciller、つまり樽の腹に銘柄名と年号をステンシルで書く係です。新酒を詰めた樽がwarehouseに送り込まれる前、誰がいつどんな新酒を入れたかが分かるように、塗料を吹き付けて木に刻印する。蒸留や瓶詰めではなく、その間にある「樽そのものの管理」のいちばん入口の仕事でした。
数年後、彼は近隣のPort Ellen蒸留所のwarehouseに移ります。Port Ellenは Islayの南西、フェリーが着く港町にあった蒸留所で、1825年創業、戦後はDiageoの前身であるDistillers Company Limitedの体制下で稼働していました。McArthurはそこで樽詰めと倉庫管理を続け、1983年の閉鎖時に最後の樽を詰めた数名のうちのひとりになります。Port Ellenはそれから40年間 silent、つまり止まったままになり、再開は2024年まで待つことになります。
閉鎖時に提示されたのは、退職金を受け取るか、他のDiageo系列に異動するかの選択でした。McArthurはLagavulinへ戻ります。スタート地点と同じ蒸留所、しかし今度はwarehouse manager の側として。それから40年、彼はLagavulinの倉庫を出ませんでした。2023年12月、合計53年の現場勤務を終えて引退、Diageoは “Iain’s Farewell Dram” という18年熟成の限定瓶で彼を見送っています。
ここで一度立ち止まらせてください。彼はMaster Distillerではないし、Master Blenderでもありません。組織図の上では、部長でも課長でもない。樽の蓋を53年間外し続けてきた人です。瓶のラベルに名前が載るタイプの職能ではない。それでも、Lagavulin 16 という瓶の中に入っている液体の少なくとも一部は、彼が1980年代に樽詰めし、Warehouse No.1の何段目に置くかを決め、定期的にbungの緩みを点検し、漏れの気配を察知してきたものです。「決定者」だけが瓶を作るわけではない、というのが、彼の53年が静かに示してきた事実です。
35 ppm のモルト、同じ仕様から、なぜ違うものが出るのか
ここから工程の話に入ります。
Lagavulin と Caol Ila が使っているピーテッドモルトは、両方ともDiageoの Port Ellen Maltings から供給されています。McArthurが最後の樽を詰めた蒸留所の建物の隣で、いまも巨大なドラム式精麦機が動いていて、Islayの蒸留所群に向けてモルトを供給している。Lagavulin と Caol Ila のスペックはそこで同じ35 ppmに焚かれています。同じピート(Castlehill採掘場由来)、同じドラム、同じppm。
ここで一度、ppmという数字の意味を整理しておきます。ピートを焚いて麦芽を乾燥させると、煙のなかのフェノール系化合物(主に p-cresol、guaiacol、4-ethylguaiacol、syringol などの混合物)が麦芽の表面に吸着します。これを p-cresol換算で総量にしたものがppmです。Lagavulin と Caol Ilaのモルトは両方35 ppm、Laphroaigは40 ppm前後、Ardbegは55 ppm前後、Octomoreは80-300+ppm(年により大幅に変動)。
ただしppmはモルトの段階の数字であって、瓶詰めされたウィスキーのフェノール量とは別物です。糖化、発酵、蒸留、12-16年の熟成を経るあいだに、フェノール総量はだいたい半分から1/3まで下がります。樽の木材に一部が吸着し、一部は蒸発し、一部は副反応で別の化合物に変わる。ppmは「入口の値」であって、舌に届く強度はその先のプロセスで決まります。

同じ入口で、なぜここまで違う瓶が出てくるのか。差は4つに整理できます。
- 発酵時間: Lagavulinは比較的長い発酵を取り、Caol Ilaは標準的。発酵時間が長いほど、果実エステル系の風味が育つ。
- stillの容量充填率: Lagavulinはポットスチルを 85-95%まで満たして蒸留します。Caol Ilaは50%程度。充填率が高いほど還流(reflux)が抑えられ、重い化合物がスピリッツ側に残ります。Lagavulinが重く感じられる物理的な根拠の大きな一本がここにあります。
- cut points: 蒸留時に「ここから採る、ここで止める」を決める切り替え点。Lagavulinは 72% ABVから59% ABVまで という比較的広い範囲を採り、Caol Ilaは 75% ABVから65% ABVまで という狭めの範囲を採ります。Lagavulinの方が末端の重い留分まで拾うので、油性・硫黄系・フェノール残量が高くなります。
- 樽構成: 両者ともセカンドフィルのバーボン樽が中心ですが、Lagavulinはリフィルのシェリー樽混合比率がやや高めの年代があり、Distillers Editionではさらに第二熟成でPXシェリーを通す(後述)。
つまり、入口のppmが同じでも、充填率と cut pointsの違いだけで、出てくるスピリッツの重さは別物になります。McArthurが触っていた樽のなかには、こうした工程の差がすでに刻まれた状態で入ってきたものが何百もあったはずです。
Lagavulin 16、1988年に「16年熟成」をフラッグシップに置いた選択
Lagavulin 16が現行のかたちで世に出たのは1988年、Diageo(当時United Distillers)が Classic Malts of Scotland という6本のラインを立ち上げた年です。Glenkinchie(ローランド)、Dalwhinnie(ハイランド)、Oban(西ハイランド)、Cragganmore(スピサイド)、Talisker(スカイ)、そしてLagavulin(Islay)。スコッチの地域差をひと揃いで提示する企画で、これがその後30年以上にわたるシングルモルト普及の枠組みを作りました。
Lagavulinが16年で出されたのは、ブランディングの結果ではなく当時の在庫事情が大きい、というのが業界の通説です。1980年代初頭はモルトウィスキー需要が底で、Islayの多くの蒸留所が減産または閉鎖していた時代でした(Port Ellenの1983年閉鎖もその一部)。Lagavulinの倉庫には熟成期間の長い在庫が積み上がっていて、16年というやや長めの年数を選ぶ余裕があった。結果として、Islayモルトの代表格として「16年」が定着し、その後Islayブームで需要が爆発しても、Lagavulinは年数を下げずに16年を維持し続けました。
McArthurがPort Ellenから戻ってLagavulinの樽番に着いたのが1983年、Lagavulin 16がClassic Maltsとして発売されたのが1988年。この5年のあいだに彼が触っていた樽の一部は、後年のLagavulin 16として瓶詰めされたはずです。1980年代のLagavulinは、いま2万円台で買えればいいレベルのコレクター品になるような時代の樽を、安く流通させていた時期でもありました。
飲むときに舌に届くもの
ここで、用意した2脚のグラスに戻ります。
室温で10分置いてからノージング。Lagavulin 16は、最初に焚き火の翌朝、湿った薪の表面にまだ残っている煙の匂いが立ち上がります。続いてヨウ素的なミネラル感(病院のリノリウムの床を冷たい水で拭いたあとの、消毒のあとの湿気のような匂い)が遅れて鼻に入る。3滴の加水をすると、煙の奥から干し葡萄を温かいクリームにのせたときのような甘さがゆっくり開いてきます。口に含むと、最初の数秒は厚みのある油、中盤に塩、終盤に煙が長く尾を引きます。43% ABV、加水なしでも刺激は穏やか。
Caol Ila 12は、同じノージングをすると、上澄みがまったく違います。煙はある、しかし薪の煙ではなく、グレープフルーツの皮を剥いたときの白い苦みのような citrus oil が前面に来る。Lagavulinの medicinal な側面はほとんどなく、塩は感じるが油は軽い。加水すると、煙が引き締まって夏の海水浴のあと、肩に残った塩のような乾いた感触に変わる。同じく43% ABV、同じ島、同じpeat、しかし瓶のなかに閉じ込められた風景は完全に別物。
参考までに、棚からLaphroaig 10(40 ppm前後、Lagavulinの隣の蒸留所、6,000円前後)とArdbeg 10(55 ppmだが瓶詰め時点では中庸、7,000-9,000円前後)も並べてみました。Laphroaigは Lagavulinよりさらにヨウ素が前に出て、医療用消毒の香りがほぼ直接的。Ardbegは数字としては最もpeatyなはずなのに、若さゆえか citrus と煙のバランスがCaol Ila寄りに見える瞬間があり、ppmの順序通りには並ばない。「ppmの順番=スモーキーさの順番」ではないことが、4本並べると舌で分かります。
価格を整理しておきます。Lagavulin 16 が日本の量販店で8,000-12,000円帯、Caol Ila 12 が6,500-9,000円帯、Laphroaig 10 が5,500-8,000円帯、Ardbeg 10 が6,500-9,000円帯。4本そろえても3-4万円でIslay中核の縦比較ができる。これはIslayがブームの真ん中にいる現在でも、まだ十分に手の届く価格帯です。
Distillers Edition、「角を削るかどうか」の選択
Lagavulinにはもう1本、Distillers Edition という派生瓶があります。1997年からのリリースで、通常版16年と同等の熟成を経たあとに、PX(Pedro Ximénez)シーズンドのアメリカンオーク樽で第二熟成を加える方式。43% ABV、日本での流通価格は12,000-16,000円帯。
これを開けると、通常版の Lagavulin 16にあった「煙と塩と油」の角が、PX由来の濃い干し葡萄の甘さで丸められているのがはっきり分かります。年配のLagavulinファンには「本来の角を削っている」と感じる人もいますし、初心者にはこちらの方が入りやすい、という評価もある。どちらが上ではなく、「角を残すか、丸めるか」をDiageoが選択肢として両方売り続けているという事実が興味深いところです。McArthurが見続けてきた樽には、通常版16年に向かう樽と、Distillers Edition用にあとからPX樽に移される樽の両方があったはずです。
次にこの瓶を開けるときに
Lagavulin 16のラベルには、Master Blenderの名前は書いてあっても、樽番の名前は書いてありません。McArthurが2023年12月にwarehouseの扉を最後に閉めたとき、彼が触ってきた樽のすべては、まだ瓶詰めされていない状態でwarehouse No.1のなかに残っています。今後10年、20年、彼の指紋がついた樽が順次出荷されていく。市場は彼の名前を覚えていなくても、Lagavulin 16の瓶のなかには、彼の53年が物理的に保管されています。
次にLagavulin 16を開けるときに、Caol Ila 12を隣に並べてみてください。同じ35 ppmのモルトから、stillの充填率と cut pointsだけでここまで違うものができることを、舌で確認できます。ppmという数字は、入口の値であって、出口の強度ではない。出口の強度は、stillの設計と、cut pointsを誰がどこで決めるかと、warehouseで何年待つかと、その年月の樽番が誰だったかで決まる。
McArthurはMaster Distillerではありませんでした。それでも、彼が引退した夜、Lagavulinのwarehouseで物理的に動いていた樽の数百本は、彼の手の記憶を最後に通って外に出ていきます。ボトルの値段が誰の仕事の対価なのかを、グラスを傾けながら少しだけ考えてみる夜が、月に一度くらいあってもいいと思っています。
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主な参考資料
- Whisky Magazine “Lagavulin warehouse manager Iain McArthur to retire”: 1970年Lagavulin入社、Port Ellen勤務、1983年閉鎖時の樽詰め、合計53年勤務の経歴
- The Spirits Business “Lagavulin honours Iain McArthur with special bottling”: 2023年12月引退、Iain’s Farewell Dram 18年熟成リリース
- Whisky Advocate “Iain McArthur: The Wise Guy”: 樽番としての職務範囲、Lagavulin warehouse の運用
- Whisky and Wisdom “When fixation on peat and PPM gets OTT”: Lagavulin / Caol Ila が同一35 ppm仕様のPort Ellen Maltingsモルトを使用、still充填率(85-95% vs 50%)と cut points(72→59 vs 75→65)の差
- Scotch Whisky “The truth about peated whisky and phenols”: ppmの測定原理と熟成中の減衰
- Wikipedia: Classic Malts of Scotland: 1988年United Distillers発、6本構成、Lagavulin 16の launch経緯
- Lagavulin Distillers Edition 1997年launch、PX-seasoned American oak finishing