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竹鶴威と Coffey ― 父が買った蒸留塔を息子が 30 年回し続けた工学判断

技術
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Nikka の Coffey Grain を 4,500 円で買ってきて、ラベルを裏返した瞬間、私は少し笑いました。瓶の中身は 1830 年に Aeneas Coffey がアイルランドで特許を取った蒸留方式の、ほぼ直系の子孫です。この Coffey still と呼ばれる二塔式の連続蒸留器が日本に渡ってきたのは 1963 年、Scotland から Nikka が買い付けました。買ったのは 竹鶴政孝 ですが、その塔を 30 年回し続け、grain whisky を「ブレンド用の副材料」から「単独でボトリングするスピリッツ」に格上げする戦略実装をしたのは、政孝の養子で 2 代目会長になった 竹鶴威 です。彼の名はラベルに出ません。NHK 朝ドラ「マッサン」にも本人としては登場しません。だが、あなたが今夜飲む Coffey Grain の口当たりは、彼が 1979 年から 16 年間 Nikka を率いた時期の意思決定の物理的な出力でしかありません。

Nikka Coffey still の工学要約。タイトル「父が買った塔を、息子が 30 年回した」。竹鶴威 (1924–2004) は Nikka 2 代目会長、在任 1979–1995。3 つの数値: 1830 年 (Aeneas Coffey が UK 特許 No.5974 を取得、連続二塔式蒸留器の物理が確定した年) / 94.8% (ABV azeotrope 限界、Pot 蒸留の ~70% に対し Coffey で連続到達できる純度) / 60 年 (1963 年導入から 1999 年の西宮 → 宮城峡移設を経て 2026 年まで運用継続している年数、塔は分解せず横倒し運搬)。出典: Dave Broom 『The World Atlas of Whisky』 / Stefan van Eycken 『Whisky Rising』 / Nikka 公式

養子の名が瓶のラベルに出ない理由

最初に人物軸から入ります。

竹鶴威 (Takeshi Taketsuru、1924–2004) は、政孝と Rita Cowan の養子です。Rita はスコットランド人で子を授からず、政孝の兄の子 (姉の子という記述もあり、家系図は文献で揺れる) を引き取って後継として育てました。威は 1979 年に Nikka の 2 代目会長に就任し、1995 年まで 16 年間 Nikka を率いています。

「マッサン」の物語は政孝と Rita で閉じます。威は時系列的に Rita の没後 (1961 年) を生きる人物で、ドラマ尺の中には入り切らない。日本の whisky 史を読み物として消費する限り、彼の名前は固有名詞として記憶されにくい場所にあります。Nikka の現在の製品ラインナップ ― Nikka from the Barrel (1985 年初出の 51.4% bottling)、Pure Malt Black / Red / White (1980 年代後半)、Nikka All Malt (1990 年)、そして Nikka Coffey Grain / Nikka Coffey Malt (2010 年代に正式 brand 化) の大部分は、威の代に企画されたか、彼の代に決まった工程方針の延長で 2014 年以降にボトル化されたものです。

ここで一つ書いておくと、4,500 円の瓶の中に 1830 年の特許が入っていると知ったとき、私はコスパとは何かを少し考え直しました。コスパとは「安いから怪しい」の反対側に「安い物理的理由がある」ことを発見する作業だ、と書き換えました。Coffey grain whisky が pot single malt より安いのは、品質の手抜きではなく、蒸留装置の物理特性が違うからです。

Coffey still、二塔の中で起きていること

設備の話に降ります。

Coffey still は 1830 年に元アイルランド国税局査察官だった Aeneas Coffey が UK 特許 No.5974 を取得した、二塔式の連続蒸留器です。先行する Stein 兄弟の連続式設計を改良したもので、19 世紀前半のグレーンスピリッツ生産を一変させました。Coffey の物理を Cameronbridge から書き起こした記事 (John Haig and the Still That Made Blended Scotch Possible) と双子の関係にあるので、そちらと併読すると Scotland 1830 → Japan 1963 → ボトル 2014 という 184 年の系譜が 2 言語で完結します。

二塔の構造を、できるだけ刈り込んで書きます。

  • analyser (前段塔): ウォッシュ (発酵後の低 ABV 液) を塔の上から流し入れ、下から蒸気を吹き込みます。塔の中には水平の蒸留段 (plate) が垂直に積まれています。液は段から段へ下に落ち、蒸気は段の小穴を通って上に抜けます。途中で液中の揮発成分が蒸気側に剥がされ、塔の上端から「揮発成分を含んだ蒸気」が、下端から「ほぼ脱アルコールされた液」(spent wash) が出ます。
  • rectifier (後段塔): analyser から来た蒸気を、別の塔の下から入れます。この塔は冷却機能を持っていて、蒸気が上に上がるほど温度が下がります。各 plate で蒸気の一部が凝縮し、より低沸点な成分が次の plate に蒸気として上がる ― これが vapor-liquid equilibrium (VLE、気液平衡) を多段で繰り返すという意味です。最上段近くで、目的の ABV 帯の留出液を抜き取ります。

plate の数は装置ごとに違いますが、Coffey 系では analyser と rectifier それぞれに 40–60 段の plate が積まれているケースが典型的です (Dave Broom 『The World Atlas of Whisky』、Misako Udo 『The Scottish Whisky Distilleries』の Cameronbridge 章を crosscheck)。VLE を 40 段繰り返すと、ABV は理論上 94.8% の azeotrope (共沸混合物、エタノール-水の蒸留分離限界) に近づきます。pot still の 2 回蒸留では 70% 程度が限界なので、純度では桁が違う。

ここで読者は計算したくなるはずですが、実機の plate efficiency は理論値の 50–70% 程度で、装置のメンテと運転条件で変動します。Nikka が公開していない数値もここに入るので、私は「だいたいこのオーダー」と書いて先に進みます。

11 ポイントどころではない、congener の桁差

pot still と Coffey still の差は、物理化学的には congener (副成分、エタノール以外の揮発性成分の総称) の含有量で表れます。

congener は大きく分けると次の通り。

  • higher alcohols (高級アルコール): isoamyl alcohol、n-propanol、isobutanol など。沸点は エタノール (78.4°C) より高く、131–138°C 帯。fusel oil とも呼ばれます。
  • esters (エステル): ethyl hexanoate、isoamyl acetate、ethyl octanoate など。果実香の素。沸点は化合物ごとに広く、エタノールより高いもの低いもの双方あり。
  • aldehydes (アルデヒド): acetaldehyde、furfural など。低沸点で head 留分に多く出る。
  • 硫黄化合物: dimethyl trisulfide (DMTS) など。重い tail 留分に多い。

pot still (回分式) は、wash を一括投入してじっくり蒸留するため、congener の 頭・中間・尾の分離が緩い 物理を持っています。stillman が cut point で heart を切り出しても、ABV 70% 帯の中央に congener が一定量残ります。これが pot single malt の「oily」「heavy」「香気高い」の物理的根拠です。

Coffey (連続式) は、rectifier の上段で抜き出す ABV 帯を 94% 近くに設定すると、ほとんどの higher alcohols と重い ester が下段の中間留分 (fusel cut) に押し出されて切り捨てられます。最終留出は、ほぼエタノール+水+少量の低沸点 ester、という極めて clean なスピリッツになる。Cameronbridge や Strathclyde の grain whisky が「light、sweet、neutral」と表現されるのは、この物理の必然です。

ここで重要な観察。「Coffey で蒸留したスピリッツは pot より安く感じる」「pot で蒸留したスピリッツは贅沢に感じる」という相場感は、味の優劣ではなく、congener が舌に乗せている重さの差 です。pot の方が「重く高貴な味」をしているわけではなく、「congener が桁多い」という事実があるだけ。これを贅沢と呼ぶか雑味と呼ぶかは、文化が決めている。Coffey の clean は、技術的には「分離精度が高い」と書ける。

Nikka の特異点 ― malted barley を Coffey で回す

ここから Nikka が世界の grain whisky 業界の中で特異な位置にいる話。

世界の grain whisky 生産は、原料に corn (American/Bourbon 系) か wheat (Scottish grain 系) を使うのが標準です。Cameronbridge、North British、Strathclyde、Loch Lomond、いずれも corn か wheat ベース。

Nikka はここで malted barley を Coffey で蒸留する という選択をしています。これは 2014 年に Nikka Coffey Malt という brand 名で正式にボトル化されました。malted barley を pot で回すと普通の single malt、Coffey で回すとカテゴリ的には grain whisky 扱いになる ― 規格の定義上はそうですが、原料を考えると「Coffey で作った single malt」とでも呼びたくなる中途半端な存在です。

なぜ Nikka はこれを選んだのか。

政孝が 1963 年に塔を購入した時点で、彼は「Coffey grain でも barley の特性を残したい」と判断していた、という記述が、Stefan van Eycken 『Whisky Rising』(2017) と土屋守『ジャパニーズウィスキー 100 年の歴史』(複数版あり、出典の正確な版は要 crosscheck) に共通して見られます。corn と wheat に比べ malted barley は単価が高く、収率も悪く、商業的にはほぼ合理性のない選択です。それを 60 年運用したのが Nikka の judgement の硬さで、その 60 年の半分以上が威の時代と被ります。

これは政孝の founder myth では語られない部分です。政孝は「Coffey を買うべきだ」と判断した。威は「政孝が買った Coffey を、原料的に不利な malted barley でも回し続けるべきだ」と判断した ― あるいは、「変えないという判断を、変えなかった」。後者の方が私の読みに近い。

「塔をそのまま運搬した」とは何を意味するか

1999 年、Nikka は西宮工場 (1963 年に Coffey 2 基を据えた本拠) を閉鎖し、Coffey 2 基を宮城峡蒸溜所に移設します。連続蒸留塔の移設は、機械工学的には極めて異例です。

通常の手順は、塔をプレートごとに分解し、配管とフランジを切り、トラックで運び、現地で再溶接し、シール材を更新し、コミッショニングしてから運転再開、になります。Nikka の公式説明では、Coffey 塔を 分解せずに横倒しで運搬し、宮城峡で再立ち上げした とされています (Nikka 公式、Whisky Magazine Japan 過去号、土屋守の関連記述で crosscheck)。

「塔をそのまま運搬した」とは、要するに 機械的に分解する自信がなかったので車に載せた、という意味でもあります。Coffey 塔は 1963 年導入時点ですでに 19 世紀的な構造の鋳鉄+銅+鋼鉄の組合せで、解体すると元の VLE プロファイルを再現する自信が誰にも持てなかった、というのが背景にあります。塔の溶接箇所、各 plate の水平度、cooler との接続角、保温材の厚み、すべて 1963 年の据付時のままにしておけば、少なくとも以前と同じ気液平衡が出る ― 同じ味の grain whisky が出る、という保証になる。

これは「保存」というより「冷凍輸送」に近い思想です。装置を frozen state のまま物理的に位置だけ動かす。1963 年に政孝が決めた工程パラメータを、1999 年の威の退任後の Nikka が手付かずで温存する。

経済性: 4,500 円帯の物理的根拠

Coffey grain whisky は pot single malt の 1/3 から 1/5 のコスト で作れます。理由は連続加熱 (運転中はずっと蒸気を吹き続ける、回分の立上げ/冷却ロスがない)、人手が少ない (cut の判断が連続式では plate からの取出位置で固定、回分ごとの stillman 判断が要らない)、収率が高い (azeotrope に近い ABV まで連続抽出できる、回分の hearts cut で捨てる head/tail がない) の 3 点です。

Nikka Coffey Grain が 3,500–5,000 円帯で出せるのは、この工学的根拠による。同価格帯の pot single malt と比べ、Coffey grain は「香気で派手さがない代わりに、欠点も少なくて整っている」位置に置けます。コスパ路線の Kindle 本 (ウィスキーは知識 ✕ コスパで広がる世界 (kindle) など) が Nikka Coffey Grain を推す物理的根拠が、ここで具体化されます。「安いから怪しい」ではなく、「安い物理的理由がある」を読者に渡したい。

ただし注意点。Coffey grain の clean さは、長期熟成の伸びしろを限定的にします。congener が桁少ない以上、cask 由来の vanillin / lactone / tannin の比率が舌に乗りやすく、これが 12 年・15 年と進むと cask の影が強くなりすぎる傾向がある (Nikka Coffey Grain 17 年や 18 年が limited で出る時の議論はここに集約される)。Coffey は若い・中年・cask 設計次第で映える酒で、超長期熟成は pot の領域です。これは Coffey の欠点ではなく特性で、どちらも「結局これが正解」と書ける話ではありません。

だから、瓶に残っているのは威の決断連鎖

結びに向かいます。

2026 年に Nikka Coffey Grain (45% ABV、市価 4,000–5,000 円) を一杯注ぐと、最初に来るのは植物油的に滑らかなテクスチャと、コーン由来ではなく 発芽させた barley 由来のうっすらとした穀物様の甘さ、そして cask からのバニラと洋梨。新しい第三波ウィスキー (Compass Box の Hedonism 等) の grain whisky 復権の流れに乗ってはいますが、Nikka Coffey Grain はそれより 30 年早く同じ場所に立っていました。

その瓶の中には、

  • 1830 年に Coffey が UK 特許 5974 を取得した、二塔式連続蒸留の物理、
  • 1963 年に政孝が Scotland から塔を購入し、当時の Nikka 西宮工場に据えた決定、
  • 1979 年に 2 代目会長になった威が、塔を解体しないという「変えない判断」を 16 年間継続したこと、
  • 1990 年代に malted barley を Coffey で回し続け、grain whisky を「ブレンド原酒」から「単独商品」に位置付け直す戦略実装をしたこと、
  • 1999 年の西宮 → 宮城峡 2 基移設で、塔を分解せずに横倒しで運搬し、1963 年の VLE プロファイルを温存したこと、

が、すべて溶け込んでいます。樽は森に立っていた時間より瓶に注がれる前に過ごす時間の方が短い ― という craft 軸の常套句がありますが、Coffey 塔は逆で、Scotland で立っていた数十年より、日本で立った 60 年以上の方が長く、その大半は威の代に重なります。

政孝の名は瓶のラベルに残り、Rita の名はドラマに残り、威の名は塔の中だけに残った。次に Nikka Coffey Grain を開けるときに、滑らかなテクスチャの中に「変えないという判断を、60 年継承し続けた工学」の重みを感じてみてください。それは founder の物語より地味で、私はそこを書きたかった。


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