輿水精一と響17年 ― サントリーチーフブレンダー1999-2014が瓶に残した『調和』の設計
響17年が国内の店頭から消えたのは2018年でした。出荷終了が7月末、販売休止が9月。原酒不足を理由にサントリーが国内供給を絞った銘柄の中で、おそらく最も静かに惜しまれたボトル。あの瓶の中身を設計した人物の名前を、私は最近まで知らなかった。輿水精一(こしみず・せいいち)。1999年から2014年までサントリーの4代目チーフブレンダーを務め、響17年・21年・30年の現代仕様を確定させた人です。
サントリーには マスターブレンダー という名で経営側に立つ役職と、チーフブレンダー という名で技術側の最終責任を負う役職が独立に存在します。前者は鳥井信治郎(初代)・佐治敬三(二代目)・鳥井信吾(三代目)と鳥井家・佐治家の系譜で続き、後者は技術者から選ばれる。輿水は技術側の4代目で、後任は福與伸二(5代目)。Mike Miyamoto(白州蒸溜所の master distiller)が蒸留側の責任者だったのに対し、輿水は調合側で、山崎・白州・知多という3つの蒸溜所からの原酒を響というシリーズに束ね直す側の最終責任者でした。あなたが響Japanese Harmonyのキャップを開けるとき、その設計の上流に、15年「同じ味」を引き受け続けた人がいる。

「マスターブレンダー」と「チーフブレンダー」は別の職能である
サントリーの肩書を読み違える人は多いのですが、私もそのひとりでした。鳥井信治郎を「マスターブレンダー」、輿水精一を「チーフブレンダー」と書き分けるのは、単に役職名の歴史的経緯ではありません。
マスターブレンダーは、鳥井家・佐治家の経営者が代々名乗ってきた役職です。三代目の鳥井信吾はサントリーホールディングス副会長を本業としつつ、2002年以降この称号を持っています。一方、チーフブレンダーは現場の技術系最終責任者で、4代目の輿水、5代目の福與と続いている。ブランドの最終承認(マスターブレンダー側)と、瓶の中身の最終承認(チーフブレンダー側)が、人格として分離している会社構造です。
これは Edrington Group の Master Blender が会社の全ブランドの最終調合責任を一人で負っていた構造(同時代では John Ramsay が1991-2009の18年)とも、独立蒸留所が distiller manager 一人で全責任を持つ構造とも違う、サントリー固有の二段階体制です。輿水が引き受けたのは、この二段階のうち下段にあたる「物理的な瓶の中身を、ぶれずに出し続ける」責任のほうでした。
「調和」という日本語が、ブレンドの設計図になるまで
響というシリーズの命名そのものが**「複数の音が重なり合って一つの音になる」**というメタファーです。1989年、サントリーが創業90周年に際してフラッグシップとして投入したブレンドの名前で、輿水の前任期に決定されたもの。
ただ「響」と書いて「調和」と読み解くだけでは、ブレンドの設計図にはなりません。輿水が15年かけて言語化していった「調和」の中身は、もっと素っ気ない作業に近いと私は読んでいます。彼が日本経済新聞のインタビューや著書『ウイスキーは日本の酒である』(新潮新書、2015年)で繰り返したのは、**「どの音も突出させない」「足し算ではなく配置」**という、設計者にとっては当たり前すぎる言葉です。
スコッチのブレンデッドが、多くの場合「main malt + 補助 malt + grain whisky」という階層構造を取るのに対し、響は山崎モルト・白州モルト・知多グレーンの3者を対等のレイヤーとして扱う。どれが主役でどれが脇役と決め打ちしない。これは響特有の哲学というより、Suntoryが3つの蒸溜所と1つのグレーン蒸溜所を 同じ会社の内部資源として並列に持っているという、組織構造の制約から自然に出てくる解でもあります。
「調和」と書くと聞こえはいい。実態は、毎年異なるロットの原酒を集めて、去年と同じ味に収束させる作業です。これは新製品開発というより品質保証業務に近く、社内のマーケティング会議に持ち出して盛り上がる種類の仕事ではありません。Bill Lumsden が Glenmorangie で Designer Casks プログラム(実験樽の連続リリース)を回していた同じ時期に、輿水は逆方向の責任、つまり変えない責任を担っていました。
響17年の構造 ― 山崎・白州・知多の上に重ねる3種の樽
響17年(1989年発売、2018年休止)の構成は、サントリーが公式に詳細比率を公開していないため正確には書けません。それでもラベルと公式説明、Wikipediaおよび専門誌の累積記述から逆算できる範囲を書きます。
3つの蒸溜所原酒の核:
- 山崎モルト(1923年創業、大阪府島本町、ポットスティルによるシングルモルト原酒)
- 白州モルト(1973年創業、山梨県北杜市、森の中での軽めのスモーキー原酒、Mike Miyamoto 期に白州12年として独立 brand 化)
- 知多グレーン(1972年創業、愛知県知多市、コンティニュアススチルによるグレーンウィスキー原酒。田中城太 が手掛けた富士御殿場の3基グレーンとは別系統で、サントリー固有の grain 設計)
3種の熟成樽:
- American white oak(Quercus alba、200Lのバーボン樽中古、バニリンによる甘い香り)
- Spanish oak(Quercus robur、500L前後のシェリー樽、タンニンとドライフルーツの濃縮香)
- ミズナラ(Quercus mongolica、北海道・東北原産の日本のオーク、白檀(sandalwood)・線香・ココナッツ香を生む)
公式説明では響17年は「ミズナラ樽を中心に」と紹介されることが多く、ミズナラの個性が前面に出る profile として位置づけられています。American white oak の甘さと Spanish oak の重さを背景に、ミズナラの白檀香が東洋的な香りとして浮かび上がる。この構図が、海外のスコッチ愛好家が日本のウィスキーに対して感じる「異質さ」の正体の一つです。
ただしミズナラを使えば自動的にこの profile が出るわけではないところに、輿水の判断が入ります。ミズナラは樽材として扱いが厄介で、繊維方向が違うため漏れやすく、ヴァニリン量も European oak と異なる。戦時中(1940年代)の樽不足で代用品として採用された経緯を持つ素材を、輿水期のサントリーは意図的に響の signature として残し続けた。
1994年・1997年の響21年・30年 ― 「在庫の最高峰」を出さない判断
響21年は1994年、響30年は1997年の発売です。両方とも輿水のチーフブレンダー就任(1999年)より前の発売ですが、現代仕様の精緻化は輿水期に行われました。
ここで興味深いのは、年数が上がっても設計思想が変わらない点です。21年・30年は17年よりも長く寝かせた原酒を使いますが、構成の枠組みは同じで、Spanish oak の比率や水楢の扱いが少しずつ重さを増していくだけ。つまり、響21年・30年は「在庫の中で最も古い原酒を出した最高峰商品」ではなく、**「響17年の延長線上に置かれた、年数だけが違うシリーズ」**として設計されています。
長熟ストックを抱える蒸溜所がやりがちなのは、「30年もの原酒があるから30年表記の単独銘柄を作る」という発想です。山崎や白州のシングルモルトには確かにそういう商品もあります。しかし響に関して輿水が選んだのは、シリーズの内部で哲学を共有する設計でした。21年や30年が「響の中の上位グレード」であるためには、17年と同じ「調和」の枠組みを共有していなければならない。
これは商品企画の発想ではなく、シリーズを長期 brand asset として固定するという、もう一段上のレイヤーの判断です。輿水自身が決めたとも、社内の合意として継承したとも言えます。どちらにせよ、彼が15年その枠組みを動かさなかった事実は、瓶のラベルと中身の両方に残っています。
ミズナラ樽 ― 戦時の代用品が、いつの間にか日本の signature になった
ミズナラ樽の話だけは、もう一段書いておきます。
第二次大戦中、欧米からの樽材輸入が止まったとき、サントリー山崎では国内のミズナラを試験的に使い始めました。1940年代の代用樽です。当時、ミズナラ樽で熟成した原酒は「漏れが多い」「香りが独特すぎる」と社内でも評価が分かれ、戦後しばらくは積極的に主用されなかった経緯があります。
これが白檀・線香・ココナッツといった東洋的な香り(現代の whisky writer が「Japanese oak character」として頻繁に言及するもの)を生む素材として再評価されるのは、1980年代以降の話です。皮肉なことに、戦時の物資不足から生まれた代用樽が、半世紀後に日本ウィスキー固有の identity として international market から評価されることになる。
輿水期のサントリーがこのミズナラ樽を、響シリーズに継続的に採用し続けた判断は、**「あったから使った」のではなく、「signatureとして固定した」**判断だと私は読んでいます。同じ素材を、響Japanese Harmony(2015年発売、ミズナラのキーモルトを含むとサントリーが説明する現行ボトル)にも引き継がせている。
同じ Quercus 属の Q. alba / Q. robur / Q. mongolica を樽材として並べて扱う仕事は Macallan の forester 側でも試みられていますが、向こうのミズナラはあくまで実験的位置づけです。サントリーが響でミズナラを central に置いている構図とは、距離感が違います。
「変えない」15年と、変えなかったものが棚から消えた日

ここで輿水を「天才ブレンダー」と書きたい衝動を私は留保します。Whisky Magazine が彼を Hall of Fame に迎えたのは2015年3月、日本人として初。サントリー社外からの評価としては最上位のものです。それでも、彼の15年が「天才性の発露」だったとは思いません。
彼が引き受けたのは、新製品で名を成すタイプの仕事ではなく、既存シリーズの profile を1999年から2014年まで動かさない仕事でした。市場が日本ウィスキーブームの只中に入ったあとも、響17年の調合方針を変えず、原酒のロット差を毎年吸収して「去年と同じ瓶」を出し続ける。これは派手な仕事ではありません。
David Stewart が Balvenie で cask finish という新しい技法を1980年代に立ち上げたのは、新しい profile を作る側の決断でした。John Glaser が Compass Box で blendの構成比率をラベルに書こうとしたのは、blendの存在自体を再定義する側の決断でした。輿水がしたのは、その対極にある決断、つまり構成比率を公開しないまま、毎年同じ profile を作り続ける側の決断です。両者を比べて「どちらが偉いか」という問いは意味を持ちません。引き受けた責任の種類が違うだけです。
そして2018年7月。輿水が15年間変えずに守った響17年の出荷を、彼の後任の福與伸二が止めることになります。理由は原酒不足、というのが公式の説明ですが、構造的に言えば、変えずに維持できる総量を、需要が上回ったということです。
私は響17年を本気で評価する前に、それがプレミアム価格化して買えなくなった世代の人間です。1万5千円で響17年を買えた時代の人が、あの瓶を開けて、山崎モルトの厚みと白州モルトの軽さと知多グレーンの滑らかさと、その上に乗ったミズナラの白檀香を一つの音として聞き分けていたとき、彼らが飲んでいたのは、輿水が15年動かさなかった構造そのものだったわけです。
変えなかったものを、売らなくなることでしか守れない時代
2014年9月、輿水はチーフブレンダーを退き、サントリースピリッツ名誉チーフブレンダーになります。後任の福與伸二は2009年からブレンダー室長を務めていた人物で、輿水の元で5年の助走期間を取った後の継承でした。
福與期のサントリーは、輿水期と同じ「変えない」方針を続けられたわけではありません。2015年2月に響12年を販売終了し、同年3月に響Japanese Harmony(年数表記なし、ノンエイジ)を投入。2018年に響17年を販売休止、響21年・30年は限定品として残しました。結果として、市場の棚に常時並ぶ響は Japanese Harmony だけになっていきます。
これは福與の判断というより、輿水が15年動かさなかった profile を、市場の需要構造が動かさざるを得なくした話です。需要が原酒在庫を上回ったとき、選択肢は二つしかありません。profile を変えて(若い原酒を混ぜて)17年表記を続けるか、profile を変えずに17年表記を一時休止するか。福與が選んだのは後者で、それは輿水が15年守ったものを 売らなくなることでしか守れないという、ねじれた継承の形でした。
棚から消えたのは商品ではなく、「同じ味を保ち続ける」という前提そのものです。変えなかったものを、売らなくなることでしか守れない時代が来た、ということでもあります。
響Japanese Harmonyを開けるとき、誰の判断が瓶の中にいるか
内堀修身が軽井沢で約半世紀ぶれずに同じ設計を回し続けたのと、輿水が15年響の profile を動かさなかったのは、責任の引き受け方として近い種類の仕事です。違うのは、内堀の蒸留所は閉じてしまい、輿水のシリーズは形を変えながら続いていること。
Andrew Usher が1853年にバッティングという行為そのものを発明した系譜の終点に、輿水のような 「同じ味を毎年再現する」担当者 がいます。「調和」という概念を彼が15年言語化し続けたとき、彼が実際にやっていたのは、Andrew Usher が発明した行為の現代的な反復でした。
響Japanese Harmonyを5,000円台で店頭から買うとき、その瓶の中で響いている profile の輪郭は、輿水が1999年から2014年に固定したものに連続しています。彼の名前はラベルには出ません。Hall of Fame の額縁にしか出ない。それでも、瓶を開けて鼻に近づけたときにミズナラの白檀香が出てくるなら、その瞬間に輿水精一の15年は、棚から消えた響17年ではなく、目の前にある現行ボトルの中で、まだ生きています。
私は内堀修身の記事を書いてから、ジャパニーズウィスキーの設計者を「著名な創業者」ではなく「現場で長く責任を引き受けた人」の側から読む癖がつきました。輿水もそのひとりです。鳥井信治郎の名前を覚えるより前に、輿水精一と福與伸二の名前を覚えておく価値が、私にはあったと思っています。