白州 12 年と Mike Miyamoto、5 ppm のピートが「森」になる標高 700m の選択
自宅、5 月の夜。私はグラスを 2 脚用意して、左に白州 12 年、右に山崎 12 年を指二本ぶん注ぎました。室温 21℃、加水なし。両方とも同じ会社のフラッグシップで、流通価格はどちらも 1 万円札一枚ちょっと、43% ABV、12 年熟成のシングルモルト。
ノージングを始めて 5 秒で、片方からはオーブンで温めたばかりの干し葡萄、もう片方からは夏の朝、湿った草を踏んだ靴底に残るミントと若葉の匂いが立ち上がります。
同じ会社、同じ年数、同じ価格帯。それでも瓶のなかに閉じ込められている風景が完全に別物になる理由を、白州の側から書きます。その差を「設計した側」の名前から入らせてください。
Mike Miyamoto、白州を「Yamazaki ではないもの」にした人
Mike Miyamoto (宮本) はサントリーで長くキャリアを積んだ蒸留技師です。山崎での修行を経て白州の蒸留所長を務めたあと、2014 年前後からは欧米市場でブランドを言語化する側、つまりグローバルアンバサダーに回っています。多国籍ブレンデッド「碧 (Ao)」の設計も彼の発案で、世界 5 蒸留所のスピリットを並べて飲ませる構成は、彼が長年「水と蒸留器の形状で味は変わる」と語ってきたことの延長線上にあります。
取材記事を何本か読みました。マーケティング系の修飾語をほぼ使わず、**「銅の表面積」「発酵タンクの木の隙間に住む乳酸菌」「樽の内側の charring レベル」**という具体物だけで whisky を語る。Master Distiller の肩書きを持ちながら、語り口は研究者に近い。
彼が所長だった時期の設計思想は、**「Yamazaki と被らない multiple style を作る」**という自己制約。Yamazaki が「シェリー樽中心、京都南郊の温暖湿潤」を担うなら、Hakushu は 「バーボン樽中心、標高 700m の冷涼、ライトピートの森林系」 を担う。被るくらいなら作らない、という割り切りです。
標高 700m、南アルプス・甲斐駒ヶ岳の麓
ここから工程の話に入ります。
Hakushu は 1973 年、サントリーの第二蒸留所として建てられました。場所は山梨県北杜市白州町、南アルプス・甲斐駒ヶ岳の麓、標高 700m を超える森のなか。シングルモルト蒸留所として標高 700m 超は世界的にも上位で、これが白州の味を決める一番大きな物理条件です。
標高が効くのは熟成スピードです。Hakushu の年平均気温は 11℃ 前後で、Yamazaki がある大阪府島本町の 15℃ 前後に比べて 3-4℃ 低い。温度が低いと樽内の呼吸 (温度差で樽内の空気が膨張収縮し、新酒が樽材に染み込んだり出てきたりするポンプ作用) がゆっくりになる。同じ 12 年でも、Hakushu の樽の内部時計はやや遅く進み、12 年で「若さの輪郭」がまだ残った状態で瓶詰めされます。
水は甲斐駒ヶ岳から伏流してきた花崗岩濾過の軟水。Yamazaki の中硬水と対照的で、軟水のほうがエステル系 (果実) とフェノール系 (煙) が素直に出やすい設計になります。

18 基の木桶と 16 基の蒸留器
Hakushu の中で守られているのが、木桶発酵タンクと多形状ポットスチルの組み合わせです。
発酵タンクは 18 基の木製ウォッシュバック (各 75,000 リットル) が稼働しています。木桶の表面の微細な隙間には乳酸菌が住み着いていて、酵母 (Suntory は 2 種類の酵母を使い分けます) の働きが落ちる発酵後半に乳酸菌の代謝が入り、乳製品っぽい vanilla / cream のニュアンスとフルーティなエステルを生成します。stainless steel に置き換えれば衛生管理は楽になるが、その乳酸菌のレイヤーが消える。掃除と歩留まりとフレーバーのトレードオフを、白州は木桶側に倒している。
蒸留器のほうはもっと露骨です。16 基のポットスチルが、サイズ・形状・加熱方式・lyne arm (蒸気を凝縮器へ渡す首の管) の角度すべて違うかたちで並んでいます。直火式と間接ガス式、ストレートヘッドとランタンヘッド、上向き lyne arm と下向き lyne arm、tube condenser と coil condenser。一つの蒸留所のなかに「異なる性格のスピリット」を作り分ける道具立てが並んでいて、白州だけで multiple style のブレンドを完結できる構造です。
Miyamoto が所長として引き受けたのは、この道具立てを 「Yamazaki とは別の標高と水」 に組み直す仕事でした。被らないように、それぞれの内部に複数の声を作る。
ピート 5 ppm、Islay の 1/7 で「煙」になる理由
白州のスタンダードラインに使われるモルトのピートは、5 ppm 前後のライトピートです。Lagavulin や Caol Ila が使う Islay モルトは 35 ppm、Laphroaig は 40 ppm 前後。白州はその 1/7 から 1/8 のスケールで煙を仕込んでいることになります。
それでも、白州 12 を口に含んだとき、はっきり「煙がある」と認識できる。理由は二つです。一つは、軟水と木桶発酵で他の香味成分 (DMS、(CH3)2S、茹でたキャベツやコーンを思わせる硫黄香など) が抑えられて、残ったわずかなフェノールが相対的に前に出やすいこと。もう一つは、Hakushu の煙は 松脂・ミント・グリーンペッパー・青いリンゴの皮といった若葉香と組み合わさって出てくるように設計されていて、これが「焚き火の煙」ではなく「森のなかで枯れ枝を燃やしたあとの空気」として脳が解釈する効果です。
Lagavulin の煙は「焚き火の翌朝、湿った薪の匂い」、Laphroaig の煙は「ヨウ素 + 病院の消毒」、Highland Park の煙は「海風と heather の燻し」。Hakushu の煙はそのどれでもなく、**「初夏の朝に森のなかで誰かが小さな焚き火を消した直後の空気」**に近い。白州が「Forest distillery」と自称するのは詩的な言い方ではなく、5 ppm のピートを森林香と組み合わせて成立させる独自カテゴリの名前です。
飲むときに舌に届くもの
2 脚のグラスに戻ります。
白州 12 のノージングは、まずライムの皮を爪で削ったときの揮発油、続いて刈ったばかりの芝生のうえで深呼吸した青さ。10 秒遅れて、ペパーミントの茎を指で擦った指先の香り。さらに鼻を深く入れると、奥から乾いた苔の煙、薪割り場の隅で軽くくすぶる木屑が薄く乗ります。口に含むと、最初の数秒は 青リンゴの皮と洋梨、中盤に緑茶の渋み、終盤にミントと薄い煙が短く尾を引いて消える。43% ABV、加水なしでもアルコール刺激は弱い。
山崎 12 をノージングすると、まったく別の風景が立ち上がります。オーブンで温めた干し葡萄、シナモンを振ったリンゴのコンポート、軽くトーストしたバゲット。ミントや若葉の青さはほぼなく、代わりにミズナラ樽由来の伽羅 (沈香に似た東洋のお香) と、シェリー樽の濃い果実が前面に来る。同じ Suntory が、標高と水と樽配分を変えただけで、ここまで違う方向に振れる。
これが「multiple style philosophy」の正体です。一社のなかで「真冬の朝の森」と「秋の夜の和室」を別の瓶として両立させる。被るくらいなら作らない、という Miyamoto の割り切りが、ガラスの底にそのまま現れています。
価格高騰の文脈、11,000 円が「定価」になった瓶
価格を整理します。白州 12 年は サントリー希望小売価格 11,000 円前後、量販店や酒販店の実勢価格は 12,000-18,000 円帯、並行輸入や中古市場ではさらに上振れします。2014 年に一時休売、2018 年に再販。その間に世界市場で Japanese whisky 需要が爆発し、価格は 10 年で 2-3 倍に動いています。
「いつでも棚に並んでいる瓶」ではなくなっています。抽選販売や酒販店の入荷待ちが前提。Yamazaki 12 も同じ事情で、両者を同時に手元に揃えるのは Islay 4 本セットを揃えるより難易度が高い、というのが東京の小売現場の感覚です。
それでも、この記事で書いた「同じ会社、別の標高、別の水、別の樽配分」という対比は、1 杯ずつバーで飲み比べることでも検証できます。新宿や銀座の老舗ウィスキーバーでは、白州 12 + 山崎 12 のフライトが 4,000-6,000 円程度で出ます。瓶を買う前に、そこで試す方が経済的に合理的でもあります。
次に白州 12 を開けるときに
Hakushu のラベルには、Mike Miyamoto の名前は印刷されていません。それでも、いま開けている瓶のなかの液体は、2014 年頃に白州で蒸留され、12 年間 700m の倉庫で呼吸してきた樽から取り出されたもので、樽の置き場所や cut の設計には、Miyamoto が所長として書いた手順書の影響が残っているはずです。
次に白州 12 を開けるときに、もし手元に山崎 12 が並んでいれば、隣に並べて 1cm ずつ注いでみてください。1 社のなかで、被るくらいなら作らない、という制約をどう解いたかを、舌で 30 秒で確認できます。標高で煙を「森」に変え、軟水で残響を短くし、バーボン樽中心で若い輪郭を残す。5 ppm という「Islay の 1/7」のピートでも、設計が揃えば瓶の中に煙を残せる。
Miyamoto は 2010 年代後半に現場を離れ、欧米のホテルでグラスを傾けて喋る側に回りました。彼の言葉で言語化された Hakushu は、いま英語圏のほうがむしろ詳しい、という奇妙な状態にあります。それでも日本語で飲み比べるとき、彼が「Yamazaki と被らないように設計した」と繰り返してきた一文を思い出すと、グラスの森が少しだけ見やすくなります。
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主な参考資料
- Suntory 公式: Hakushu Distillery (Dedication to Quality): 1973 創業、南アルプス甲斐駒ヶ岳麓、標高 700m、18 基木製ウォッシュバック (75,000L)、16 基の形状違いポットスチル、2 種類の酵母
- Whiskipedia: Hakushu: 蒸留器の形状・加熱方式・lyne arm・凝縮器の詳細スペック、Hakushu Lightly Peated と Heavily Peated (25 ppm) の使い分け
- The House of Suntory: Hakushu Single Malt: 「Forest distillery」コンセプト、ライトピート設計、5 ppm 前後の phenol level
- The Whiskey Wash: A Visit to the Yamazaki Distillery: Mike Miyamoto の経歴 (former Master Distiller、Global Brand Ambassador) と Yamazaki / Hakushu の設計対比
- The Buyer: Suntory’s new Ao spirit comes from 5 global distilleries: Miyamoto による Ao (碧) ブレンド設計の発案と、5 蒸留所スピリットの並列比較
- Distiller: Why The World Is Hooked on Japanese Whisky: 2014 年 Hakushu 12 一時休売、再販後の世界需要爆発、価格高騰の構造
- The Whiskey Shelf: Hakushu 12 Year Single Malt Review: 白州 12 のテイスティングノート (menthol、freshly mowed grass、lime zest、Granny Smith apples、smoldering dry mosses、wood shavings)