鳥井信吾と『響』― 創業者の孫が、輿水精一と13年並走して受け取った『同じ味』の承認権
サントリーの3代目マスターブレンダーは、ウィスキーの教育を受けた人ではありません。1979年にアメリカ・南カリフォルニア大学大学院で微生物遺伝学の修士号を取って帰国した、当時26歳の理系大学院出。鳥井信吾(とりい・しんご)、創業者・鳥井信治郎の孫。父は2代目社長・佐治敬三の兄である鳥井道夫。家系図で見れば創業家の中央、職歴で見ればワインと醸造の側から来た技術者です。
その彼が2002年、サントリーの 3代目マスターブレンダー に就きます。前任は2代目の佐治敬三(2代目社長)、初代は祖父の鳥井信治郎。創業家の中で代々受け継がれてきた、ウィスキー製造の最終承認権 を継ぐ役職です。
私はこの記事を書く前まで、鳥井信吾を「輿水精一の後継者」のような形で漠然と理解していました。実際には違います。輿水がチーフブレンダーに就いたのが1999年、鳥井信吾がマスターブレンダーに就いたのが2002年。2人は13年並走しました。そして2014年に輿水が退いたあと、鳥井信吾は5代目チーフブレンダー・福與伸二と、いまも続く並走に入っています。鳥井信吾が輿水から受け取ったのは「ブレンダーの椅子」ではありません。輿水が15年動かさなかった『同じ味』を、創業家の側から承認し続ける責任のほうでした。

「マスターブレンダー」は称号ではなく承認権である
輿水精一の記事でも一度書いた話を、もう一段精密にします。サントリーの マスターブレンダー / チーフブレンダー という2つの肩書は、外から見ると同じ仕事の言い換えに見えて、まったく違う職能です。
- マスターブレンダー: 創業家(鳥井家・佐治家)が代々名乗ってきた、ウィスキー製造全体の最終承認者。初代・鳥井信治郎(1923年山崎蒸溜所創業、初代社長) → 2代目・佐治敬三(2代目社長、寿屋からサントリーへの改称を主導) → 3代目・鳥井信吾(2002年就任、現サントリーホールディングス副会長) の3代。
- チーフブレンダー: 技術側の現場最終責任者。4代目・輿水精一(1999-2014) → 5代目・福與伸二(2014-) の系譜。1980年代に独立した職能として設けられました。
つまり、マスターブレンダーは創業家の経営者であり、ブレンドを技術的に毎日触る職業ブレンダーではない。「品質に対する最終責任を、社外向けに名乗る」役職に近い。これに対して、チーフブレンダーは社内の技術者から選ばれ、原酒の評価と調合の物理的な決定を毎日行う。ブランドの最終承認(マスターブレンダー)と、瓶の中身の最終承認(チーフブレンダー)が、人格として分離しているのがサントリーの構造です。
この二段構造は、Edrington Group の Master Blender が一人で全責任を負う構造(同時代では John Ramsay が1991-2009の18年、Edrington 全ブランドの最終調合)とも、独立蒸留所が distiller manager に集約する構造とも違います。会社のオーナーが「品質の最終責任」をブランドとして引き受け、その下に職業ブレンダーを置く形は、家業として始まり財閥に育った日本企業に固有のものかもしれません。
ここで誰かに「ではマスターブレンダーって、形だけの肩書ですか」と聞かれると、私は「半分そうで、半分違います」と答えます。形だけだと言い切るには、鳥井信吾の経歴が技術側に寄りすぎている。
微生物遺伝学のMSを取った創業家の孫
鳥井信吾は1953年1月、神戸生まれ。3代目鳥井家(信治郎 → 道夫 → 信吾)の長男として育ち、1979年6月に南カリフォルニア大学大学院で 微生物遺伝学(microbial genetics) の修士号を取得しています。ここで彼が学んだのは、酵母・乳酸菌・大腸菌のような微生物の遺伝形質を分子レベルで扱う技術。酒類製造の発酵工程と直接つながる学問領域です。
サントリー入社後、彼が最初に配属されたのはワイン部門。1990年代に蒸留酒部門へ移り、2002年にマスターブレンダー就任。2003年副社長、2014年から副会長を兼務。これだけ並べると経営者の昇進記録ですが、職業としてはずっと醸造側の人だったということになります。「経営の家系に生まれたから創業家ブレンダーをやらされている」というキャリアではない。
私が興味深いと感じるのは、彼が 化学者であって、ウィスキーの官能評価のプロとして育てられたわけではない 点です。輿水精一は1973年サントリー入社、ブレンダー専門で30年以上を積み、ブレンダー室長から4代目チーフブレンダーに昇格した「鼻と舌の人」でした。鳥井信吾はそれとは違うキャリアパスで、官能評価の最前線ではなく、品質の構造設計と方針の側から関わる人として育ちました。
この補完関係が、2002年から13年続く輿水とのペアワークの土台にあります。輿水が官能評価で「この原酒は響17年に入れる」と決め、鳥井信吾が品質の最終承認をする。輿水が毎年のロット差を吸収して「去年と同じ瓶」を作り、鳥井信吾が「ブランドとして同じであり続ける」方針を、社外と社内の両方に対して保証する。13年並走したというのは、実態としてはペアプログラミングに近い分業だったのではないかと、私は読んでいます。
ここで「13年並走の中で、鳥井信吾は輿水に何を学んだか」と書きたいところを、私は留保します。彼が学んだのか、輿水のほうが鳥井信吾の科学的視点に頼ったのか、外からは分かりません。両方が同時に起きていたほうが自然です。
2002年就任の社内文脈 ― 佐治信忠の宿題
鳥井信吾がマスターブレンダーに就いた2002年という年は、サントリー社内文脈で見ると重い意味を持っています。前年の2001年、4代目社長として佐治信忠(2代目・佐治敬三の長男)が就任しました。佐治信忠は当時、サントリーが世界市場でジャパニーズウィスキーを正しく評価されるようにするための布石を打とうとしていた時期で、その一環として「3代目マスターブレンダーの正式任命」を行います。任命された相手が、従兄弟関係にあたる鳥井信吾。
つまり、2002年のマスターブレンダー任命は「創業家の血を継ぐ者に名誉職を渡した」のではなく、新社長が信頼できる従兄弟に、品質保証の対外的な顔役を頼んだという、近い親族間での経営判断でした。当時鳥井信吾は49歳、輿水精一は53歳。チーフブレンダーの輿水が就任3年目で「響17年・21年・30年の現代仕様」を精緻化し始めていた時期に、その上に立つ承認者として鳥井信吾が入った。
ここに「天才ブレンダーの抜擢」みたいなドラマはありません。血縁・経営・技術の三本がそれぞれ自然な事情で2002年に交差した結果として、鳥井信吾は3代目マスターブレンダーになりました。彼自身が「就任を望んだ」とも「断った」とも、公開された記録には残っていません。淡々と業務として承継した、というのが実態に最も近いはずです。
響17年を止めた判断は、誰の手にあったか
輿水精一の記事で私は、響17年が2018年7月に出荷終了したことについて「変えなかったものを、売らなくなることでしか守れない」と書きました。あの判断の最終承認者は、構造上、鳥井信吾です。
2018年時点で輿水はすでに名誉チーフブレンダーに退き、現役のチーフブレンダーは福與伸二。福與が「在庫構造的に響17年の調合方針を保てない」と判断し、鳥井信吾(マスターブレンダーかつ副会長)が「ではブランドとしての一時休止を承認する」と決めた。これが二段構造としての意思決定の流れです。
ここで重要なのは、**鳥井信吾が「響17年を止めた」のではなく、「響17年の調合方針を変えてまで延命することを承認しなかった」**という、否定形の判断だったことです。若い原酒を混ぜれば17年表記を続けることは技術的には可能でしたが、それは輿水期から15年守ってきた「同じ味」の前提を裏切ることになる。鳥井信吾が承認しなかったのは延命であって、終売そのものは消極的な選択肢でした。
これを「英断だった」と書きたい誘惑を、私は留保します。彼が承認したのは自社の主力ブランドの一つを棚から下げる判断であって、副会長の経営者として見れば短期的には売上を失う決断です。同時に、マスターブレンダーとして見れば「同じ味であり続ける」という創業以来の約束を守る決断でもある。経営者として痛む手と、ブランド承認者として整合する手を、同時に動かす立場にいたからできた決断だったとは言えますが、それを「英断」と呼ぶのは少し違う気がします。むしろ、二段構造を一人の人間が兼ねているからこそ可能だった、会社固有の意思決定形態の帰結として読むほうが正確です。
仮に鳥井信吾が経営側だけにいて、ブレンダー側を完全に別人に任せていたら、彼は「短期売上を取って延命せよ」と圧力をかけた可能性さえあります。創業家の同じ人物がマスターブレンダー側を兼ねていたから、経営者としての自分に対して、品質側から否定形の承認を返せた。ねじれた話ですが、二段構造はこういう内部対話を一人の中で可能にする装置でもあります。
響Japanese HarmonyとBLOSSOM HARMONY ― 「変えない」と「更新する」の併走
輿水退任後の福與・鳥井信吾期で、響シリーズは2つの方向に分岐します。
一つは 響Japanese Harmony(2015年発売、ノンエイジ)。年数表記を外し、若い原酒も含めて「響の調和」を別の形で表現する設計。これは輿水期の17年・21年・30年と並列に走るのではなく、輿水が15年守った調合方針の現代版継承として読めます。
もう一つが 響BLOSSOM HARMONY(2021年5月発売、限定品)。これは響の歴史で初めて 桜樽フィニッシュ原酒 を加えた設計で、桜の花や葉を思わせる香りを既存のブレンドに重ねる試みです。サントリー公式は「響ブランドで初めて桜樽を使用」と明記しており、響30年と並ぶ価格帯(発売時8,000円台)で、響としては中位の試験的位置づけ。
ここで私が読んでいるのは、福與と鳥井信吾の組み合わせが、輿水期とは違う方向で「響を更新する」自由度を取り始めた、ということです。輿水期の15年が「変えない」だったとすれば、福與・鳥井信吾期は 「同じ味であり続けるための更新」 を試行している。BLOSSOM HARMONYの桜樽は、ミズナラ樽(Q. mongolica)の白檀香に並ぶ「日本固有の樹種を樽材として使う」系譜の拡張で、ミズナラが第二次大戦中の代用樽から signature に育ったのと同じ筋を、桜で再演しようとしている試みに見えます。
この試行が「響」というブランドの強度を高めているのか、薄めているのか、まだ私は判断していません。発売から数年経っても市場の反応はミックスで、響17年が持っていた 「圧倒的に変わらないことが価値」 という磁場とは、別の磁場を作ろうとしている。福與が技術側で設計し、鳥井信吾が承認しているこの方向性は、サントリー固有の二段構造を活かした、輿水期とは違う種類の冒険として位置づくはずです。
創業家のブレンダーが、見えない承認の連続として在ること
ラベルには鳥井信吾の名前は出ません。響17年のボトルに名前が刻まれていたのは「初代マスターブレンダー 鳥井信治郎」のほうで、3代目の名前が前に出る場面は、サントリーの周年プレスリリースとブランドイベントの限られた機会だけです。マスターブレンダーは社外から見える顔としては存在しても、毎日の瓶の中身に名前を残す職業ではない。
輿水精一も「彼の15年は瓶の中に生きているが、彼自身は棚から消えた響17年ではなく、現行のJapanese Harmonyの中で生き続ける」と書きました。鳥井信吾の場合はさらに匿名性が高くて、彼が承認した一つひとつの判断は、終売プレスリリースの末尾の「マスターブレンダー」の肩書としてだけ刻まれている。
3代続けて創業家がマスターブレンダーをやってきた構造は、日本のウィスキー会社でサントリー以外には Nikka (アサヒ傘下) も Mars(本坊酒造) も持っていません。Nikka は竹鶴政孝の没後、ブレンドの実務は社員職に移行し、創業家ブランディングは「マッサン」というキャラクターの形で別系統に残りました。Mars は岩井喜一郎以降、本坊家がオーナーとして残っていますがブレンダーは社員職。サントリーだけが、創業家=マスターブレンダーという初代の構造を3代維持している会社です。
これを「日本的な家業の継承」として美化する書き方を、私はしません。家業継承は内部で職業選択の自由を制限する側面もありますし、鳥井信吾自身が「マスターブレンダーになりたかったか」を彼自身の言葉で語った記録は、私が見つけた範囲ではほとんどありません。引き受けたから引き受けた、という、淡白な事実が残っているだけです。
それでも、響Japanese Harmonyのキャップを開けて鼻に近づけたとき、その profile の最終承認者として鳥井信吾の名前が静かに乗っている、という事実は、変わりません。輿水が15年動かさず、福與が桜樽で更新を試み、鳥井信吾がその両方を 「これは響として出してよい」と承認し続けてきた。彼の仕事は瓶の中身に物理的な痕跡を残さない代わりに、ブランドの輪郭そのものを毎年承認する という、もう一段抽象的なレイヤーに置かれています。
Andrew Usher が1853年にバッティングを発明した系譜の終点に、輿水精一のような職業ブレンダーがいる、と前の記事で書きました。その輿水のさらに一段上に、創業家のオーナーが品質承認のレイヤーとして乗っている構造を、サントリーは3代続けてきた。鳥井信吾の責任の輪郭は、初代・鳥井信治郎が1923年山崎で蒸留所を始めたときに決めた『同じ家が品質に責任を持つ』という構造を、いまも保つことです。
私は鳥井信吾の名前を、いまでは輿水精一・福與伸二と同じ重さで覚えるようになりました。瓶のラベルには出ない3つ目の名前として、響を開けるときに思い出す程度の重さで。彼が承認しなかった延命と、彼が承認した終売と、彼が承認した桜樽は、ぜんぶ同じ「マスターブレンダー」の肩書から出てきた決断です。彼自身の手で原酒を混ぜたわけではない判断たちが、彼の3代目としての履歴を作っている、という静かな構造のほうを、私は記事の終わりに置きたいと思います。
