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John McDougall と『Wort, Worms and Washbacks』 ― 5 つの蒸留所を渡り歩いた男が、自伝に残した 1963 年見習いから今までの現場記録

人物
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5 つの蒸留所で操業責任者を務めた男がいます。John McDougall。Scotch の 5 産地すべて ― Campbeltown、Islay、Highland、Speyside、Lowland ― で蒸留所を実際に動かした、存命の数少ない人物として industry に知られる人です。経歴は 1963 年に DCL (Distillers Company Limited、後の Diageo) の管理職見習いから始まり、60 年経った今もコンサルタントとして現役。1999 年に彼は自伝を出しました。タイトルは 『Wort, Worms and Washbacks: Memoirs from the Stillhouse』 ― 麦汁、ワームタブ、発酵槽、つまり蒸留所の中だけで通じる 3 つの単語が並んでいます。

私が Springbank 10 を注ぐ夜は、ある特定の判断について考えます。1990 年代初頭、Campbeltown で彼が floor malting (床麦芽製法) の床を蘇らせた時の判断。蒸留所がほぼ 10 年間眠っていた、その直後の話です。書き残された 5 蒸留所の現場記憶が、瓶の中で 30 年後に何になっているかは、まだ私には決めきれません。

McDougall の 5 蒸留所流転 timeline。1963 年 Aultmore で DCL 管理職見習いから始まり、1970 年 Laphroaig (Islay)、Ladyburn (Lowland)、Tormore (Speyside)、Balvenie (Speyside)、そして Springbank (Campbeltown、1980 年代後半 - 1990 年代初頭) と渡り歩いた 60 年超の career を、Scotch の 5 産地と地理上に重ねて視覚化した図解。

「5 つの蒸留所を渡り歩いた」という履歴の重さ

普通、Scotch industry の master distiller は 1 蒸留所、長くて 2 蒸留所で生涯のほぼ全てを過ごします。当ブログで以前書いた David Stewart と Balvenie 21 PortWood は、William Grant & Sons に 60 年を超えて在籍した「長期定着型」の極端な例。輿水精一と響 17 年 はサントリーで 15 年チーフブレンダーとして同じ瓶を出し続けた「変えない責任」型。industry にはこの「1 社で完結する職人」が圧倒的に多い。

McDougall はその対極に立つ人です。1963 年に Speyside の Aultmore で DCL の管理職見習いとして始まり、DCL 傘下の Knockdhu、Banff、Teaninich、Balmenach、Imperial、Dailuaine といった Speyside / Highland の蒸留所を渡り歩いて経験を積んだあと、operations manager / production director / distillery manager といった肩書で 5 つの蒸留所を順に経営しました。

蒸留所産地当時の親会社役職の時期
Ladyburn / GirvanLowlandWilliam Grant & Sons1970s 想定
TormoreSpeysideLong John International (1975 から Whitbread / Allied)1970s 想定
BalvenieSpeyside (Dufftown)William Grant & Sons1970s 後半-1980s 想定
LaphroaigIslayLong John (May 1970 撮影写真あり)1970-1980s 想定
SpringbankCampbeltownJ&A Mitchell (Hedley Wright owner)1980s 後半-1990s 初頭

正確な在任年は彼自身の公式履歴と回顧録の記述以上には固まっておらず、本記事は「想定」と明記しながら年代帯を扱います。確実なのは 5 蒸留所、5 産地、1 つの自伝 という事実の構造で、これは Scotch industry においては稀有な経歴です。

ここで「天才だったから 5 蒸留所を任された」と書きたくなる誘惑があります。残念ながらそうではありません。McDougall が在籍した 1960 年代後半から 1990 年代までは、ちょうど DCL 解体期、Long John / Whitbread → Allied 統合期、Hiram Walker → Pernod Ricard 経由の系列再編期 が連続して起きた時代でした。蒸留所は経営主体が短期間で入れ替わり、職員も連動して動かされる。McDougall の流転は 本人の意思 + industry の構造変動 の両方の結果で、おそらく後者の比重のほうが大きい。

自伝のタイトルが説明している 3 つの単語

『Wort, Worms and Washbacks: Memoirs from the Stillhouse』は 1999 年に Neil Wilson Publishing (後に Angel’s Share imprint に統合) から出版されました。共著者は Glasgow ベースの whisky writer Gavin D. Smith。世界中で 1 万 2,000 部以上売れた、whisky 自伝としてはおそらく最も読まれた一冊です。

タイトルの 3 単語が、そのまま蒸留所の工程を示しています。

  • wort (麦汁) ― mash tun で粉砕 malt と温水を 60-65℃ で混合して糖を抽出した、薄い金色の糖液。糖度は 12-15° Plato 程度。これがやがてアルコールになる前の段階。
  • worms ― より正確には worm tubs (蛇管式凝縮器)。銅の蛇管 (worm) を冷水の槽に螺旋状に沈めた、19 世紀から続く旧式の凝縮装置。当ブログでは Mortlach の George Cowie が 100 年捨てなかった非効率 で詳しく書いた装置です。
  • washbacks ― 発酵槽。wort と酵母 (Saccharomyces cerevisiae) と水で 48-72 時間発酵させ、約 8% ABV の wash (発酵液) を作る大きな木桶。

「蒸留所内部でしか通じない 3 つの単語」をタイトルに置くこと自体が、この本の性格を表しています。これは「Scotch industry がいかに偉大か」を讃える啓蒙書ではない。自分が手で触り、立ち会い、寒い朝に turning した、現場の作業の名前を並べた本 です。

内容も同じ温度です。1963 年 Aultmore で見習いとして週ごとに支給される作業着の話、direct-fired still 期 (1970 年代前半まで標準だった石炭直火加熱の蒸留器) の労働災害、1974 年の Health and Safety at Work Act 制定後に蒸留所が次々と steam-coil 加熱に切り替えていった現場の話、Long John 期の Tormore で organic barley を試した動機、Springbank の silent years 復帰期に floor malting の床を蘇らせる作業手順。Charles MacLean の “Whiskypedia” や Dave Broom の解説本が引用するときに使う、industry primary source の側の本です。

Springbank の「manager 空白の 10 年」を埋めた人

ここから本記事の核心に入ります。Springbank distillery manager の系譜を、当ブログの既存記事と接続して並べると、こうなります。

  • 1979-1986: Frank McHardy (1 度目)。35 歳で manager に昇進した直後に蒸留所が silent (休業) に入り、1986 年に Bushmills へ転出
  • 1986-1996: 空白の 10 年 ― ここに John McDougall が入る (時期想定、要 crosscheck)
  • 1996-2014: Frank McHardy (2 度目)。Master Distiller として復帰、18 年間勤めて 2014 年退任

Springbank はオーナーが Hedley Wright と J&A Mitchell (Mitchell 家、John Mitchell の 4 代後の血筋) で、1837 年から一度も家族外に売却されていません。McHardy が 1986 年に Bushmills へ去り、McDougall がやって来たのは、まさに Springbank がほぼ蒸留を止めていた時期の末期 です。蒸留所は 1979 年に silent に入り、1989 年に本格的に再開しました。McHardy 記事には「Springbank went silent in 1979 and did not come back to anything like full production until 1989」と書いてあり、その復帰期の現場責任者の一人が McDougall です。

McDougall 自身は industry 取材で、Springbank を引き受けた動機をこう説明しています ― 「head-office boy (本社勤めの役職者) として whisky の現場から離れて過ごすより、給料が下がっても silent Springbank の hands-on manager を選んだ」。給料が下がる前提で蒸留所の現場を選ぶ判断 は、彼の career の哲学が一行で出ている部分です。

床麦芽製法の蘇生 (early 1990s)

McDougall が Springbank で残した最も具体的な仕事は、obsolete (廃れ) かけていた floor malting の床を、現役のラインに戻したこと です。

Floor malting は床麦芽製法 ― 浸麦した barley を蒸留所内の広い床に厚さ 10-15 cm で広げ、温度と湿気を管理しながら 5-7 日かけて発芽させ、シャベルや木製の機械で 1 日に複数回 turning (反転) する伝統的な malting 法です。発芽完了後に kiln (乾燥窯) で乾燥させ、その途中で peat を焚けば peated malt になる。

19 世紀末まではすべての蒸留所が自前で floor malting をしていましたが、20 世紀の後半に Port Ellen Maltings (Diageo) や Crisp Malting (Lothian) のような専業 maltster の大量生産 (industrial maltings、Saladin box 方式や drum 方式) に大半が切り替わりました。理由は単純で、spreadsheet (損益計算書) の上でほぼ勝負にならない。労働集約的で、床面積を取り、品質のばらつきも大きい。

それでも Scotland 内には floor malting を維持する蒸留所が残っています。Bowmore の Eddie MacAffer が約 30%、Highland Park / Laphroaig / Kilchoman / Balvenie / Benriach がそれぞれ一部、そして Springbank は 100% を自前の floor malting で賄っている唯一の蒸留所 です (現在)。McDougall は 1989-1990 年代初頭、その床が機能停止寸前だったところを修復して稼働に戻した、と本人が伝えている。

ここで「彼は伝統を蘇らせた英雄だ」と書きたい誘惑がまた来ます。これも残念ながら違う。McHardy 記事に書いた通り、Springbank が 100% floor malting を維持できているのは Mitchell 家が外部資本を取らず、四半期決算に説明する必要のない経営構造 だからで、これが無ければ McDougall が床を蘇生しても、5 年後には industrial maltings に戻されていた可能性が十分にある。個人の判断と組織構造の判断、両方が揃って初めて床は残った という話で、彼一人の手柄ではない。

初めて意図的に作られた organic 麦芽 whisky

Springbank での McDougall の仕事でもう一つ記録に残っているのが、organic barley から意図的に蒸留した最初の Scotch malt whisky を 1990 年代初頭に作ったことです。organic barley を有機栽培の認証付きで仕入れ、floor malting の現場で麦芽化し、Springbank の still で蒸留した。

これは marketing 文脈で語られるとき「先見の明があった」と書かれがちですが、もう少し冷めた言い方をすると、Long John 期の Tormore で organic 麦芽を試した経験を、Mitchell 家の独立資本だから採算度外視で実行できる場所に持ち込んだ、という延長線上の判断です。新発明ではなく、彼の流転履歴の中で蓄えた経験を、たまたま採算非依存の蒸留所に持ち込めた、という構造の話。本人もそう書いている。

「rolling stone」と「定着」の対比軸

McDougall を巡る職能の対比は、当ブログの人物軸記事を横並びにすると見えてきます。

人物在籍パターン残したもの
David StewartWilliam Grant に 60 年超定着Balvenie 21 PortWood = cask finishing の発明、後継 2 人をリレー
輿水精一Suntory chief blender 15 年定着響 17 / 21 / 30 の現代仕様、「変えない」責任
John Glaser米国 outsider が Diageo → 独立 Compass BoxSWA 透明性紛争、ラベル開示運動
John McDougall5 蒸留所流転5 産地の現場記憶、自伝、Springbank floor malting 蘇生
Andrew UsherEdinburgh 商人 1 代1853 年 OVG = ブランドという protocol の発明

Stewart は定着で深さを稼ぎ、輿水は定着で再現性を確保し、Glaser は独立創業で別軸を作り、McDougall は 流転で横断知見を蓄え、それを自伝という形式で industry に戻した。「横断知見の文字化」という残し方は、Scotch industry においては珍しい職能の使い方です。

industry の標準的な master distiller は瓶の中身に痕跡を残すことで仕事を残します。McDougall は瓶の中身にも一部痕跡を残しているけれど、より明確に残したのは『Wort, Worms and Washbacks』というテキスト のほうで、これは Don Knuth が書いたソフトウェア工学の memoir や、Brendan Gregg が performance engineering の blog archive で残してきた書き物に近い性質を持ちます。エンジニアの memoir に近い職能。

Laphroaig の現場、1970 年代 ― peat の手切りと Bessie Williamson の後継

McDougall の career で Laphroaig (Islay) に滞在した時期は、Bessie Williamson が 1972 年に引退 してから数年後、おそらく 1970 年代後半から 1980 年代前半にかけてです。1970 年 5 月撮影の本人写真が彼の公式サイトに残っており、Long John 期の Laphroaig で operations に従事していたことが確認できる。

Williamson が独立オーナーとして 1954-1972 年の 18 年間運営した蒸留所は、彼女の引退時点で Long John に売却されており、McDougall が来た頃にはすでに 法人運営の中堅蒸留所 に変わっていました。Williamson の時代が「個人オーナーの最後の Islay」だとすれば、McDougall の Laphroaig は「企業期 Islay の典型例」を内側から見た記録になります。

自伝には Glenmachrie peat (Laphroaig が peat を切り出す Islay 内陸の peat bog) の手切り作業、kiln の peat 焚き時間の調整、phenol PPM の管理といった話が含まれています。今の私が棚に置いている Laphroaig 10 は、当然ながら McDougall が手を入れた spirit ではない (彼の在任は 40 年前)。でも床麦芽製法、worm tub の温度、peat の焚き方といった「数値化できない判断の集積」は、彼が生きていた時代に Long John の Laphroaig で形成された手順の延長線上にあります。

60 年後の現場 ― Morris Whisky (Victoria, Australia)、2022 年

McDougall は引退していません。少なくとも 2022 年に Drinks Adventures Podcast にゲスト出演した時点で、オーストラリア Victoria 州の Morris Whisky (Morris of Rutherglen の whisky 部門) で advisor として現役でした。当時で career 60 年目。87 歳前後 (要 crosscheck) です。

最近の写真を見ると、彼は今もコンサルタントとしてオーストラリアやアジアの新興蒸留所を見て回っています。1963 年 Aultmore の見習いから始まったキャリアが、いまも続いている。

「彼は伝説的なベテランで、現役の現場感を保ち続けている稀少例だ」と書きたくなりますが、これも違います。60 年 industry にいた人にしか出せない深さの判断を、まだ誰かに譲っていないだけ という、もう少し殺風景な見方のほうが彼の自伝のトーンに近い。譲るには相手の準備が要る。それが整わなければ続けるしかない。Knuth が TAOCP を書き続けているのと、構造的に似た現象です。

1999 年の自伝のページ数と、2010 年代の Springbank 25 年の本数

最後に、はじめの問いに戻ります。書き残された 5 蒸留所の現場記憶は、瓶の中で 30 年後に何になっているのか。

McDougall が Springbank で manager だった 1989-1990 年代初頭、彼が選んだ peat の焚き時間、washback の発酵温度、worm tub の冷却水の流速、cut point (本蒸留で hearts を選び取る濃度の境界) ― それらは記録には残っているけれど、瓶のラベルに彼の名前が出ることはありません。今 Springbank 25 年や 30 年として bottling されている spirit の一部は、彼の time の判断が 30 年後に瓶になっているということになります。彼が自伝で書き残したのは現場の記憶ですが、瓶の中身として残っているのは 数値化できない部分の記憶 ― cut point の判断、washback の発酵時間、worm tub の冷却水温度 ― それらの判断の集積体です。

1999 年の自伝のページ数と、2010 年代以降の Springbank 25 年の本数は、別の単位で同じ人の仕事を計っている、と書くと、たぶん本人は「言い過ぎだ」と笑うでしょう。本の販売部数は industry 内では十分に大きく、瓶の本数は industry 全体の中ではごく小さい。両方とも、彼が現場で「給料が下がっても hands-on を選ぶ」と決めた、その一回の判断の延長線上にある。

私が Springbank 10 を開ける夜は、その延長線について少し考えるようになりました。瓶の値段の話ではない別の重さを、自伝のページが横から支えています。

Springbank distillery manager 系譜の三者連環図。1979-1986 が Frank McHardy 1 度目、1986-1996 が John McDougall (本人在任時期想定)、1996-2014 が Frank McHardy 2 度目、その間ずっと Hedley Wright (Mitchell 家) が owner として 1869 年からの 4 代目を継承していることを、時間軸と組織図で重ねて示した図解。


参考文献

  • John McDougall and Gavin D. Smith, Wort, Worms and Washbacks: Memoirs from the Stillhouse (Neil Wilson Publishing, 1999; reprinted 2003 by Angel’s Share)
  • John C. McDougall 公式サイト ― johncmcdougall.com
  • Drinks Adventures Podcast, “John McDougall ex-Balvenie, Laphroaig, Springbank & more” (S14E9, 2022年10月)
  • Malt Maniacs E-pistle 2007/053, “Book Review: Wort, Worms & Washbacks”
  • Charles MacLean, Whiskypedia (Birlinn, Speyside / Campbeltown / Islay 各章)
  • Dave Broom, The World Atlas of Whisky
  • Misako Udo, The Scottish Whisky Distilleries
  • Springbank distillery 公式 history ― springbank.scot
  • Tormore distillery / Long John International の沿革 (Wikipedia 含む)

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