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余市シングルモルトと石炭直火蒸留 ― 竹鶴政孝が北海道に残した『世界で最後の手焚き』と、瓶の中のオイリーな重さ

テイスティング
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自宅、6 月の夜。私はグラスを 2 脚並べて、左に 余市シングルモルト、右に 宮城峡シングルモルト を指二本ぶん注ぎました。室温 22℃、加水なし。どちらもニッカの現行ノンエイジ、どちらも 45% ABV、同じ会社のフラッグシップで、流通価格もほぼ同じ帯です。

ノージングを始めて数秒で、左のグラスからは 海辺で拾った流木を焚き火にくべたあとの、湿った煙と潮のにおい が立ち上がります。右のグラスからは 皮ごとかじった洋梨と、温めたはちみつ の匂い。同じ会社が、同じ創業者の設計思想で、同じ年に近い時期から作ってきた二本なのに、グラスのなかに閉じ込められた風景がまるで別の県の話になっている。

この差の大半は、加熱方式という一点から来ています。片方は今も人間が手で石炭をくべている。もう片方は蒸気で温めている。今夜は、その「手で石炭をくべる」ほうの重さがどこから来るのかを、設計した人物の名前から書きます。

波が打ち寄せる岩礁の海岸の写真に、「余市と石炭直火の重さ」というタイトルと、海辺の蒸留所で誰かが今も手で石炭をくべているという一文を重ねた記事ヒーロー画像。

竹鶴政孝が「いちばん面倒な火」をわざわざ選んだ理由

余市蒸溜所は 1934 年、竹鶴政孝が北海道余市町に建てた蒸留所です。彼がこの土地を選んだ理由は有名で、冷涼・湿潤・海風・近隣のピート層と良質な水源という条件が、彼が修行したスコットランドに似ていたから。ここまでは観光案内にも書いてあります。

私が今夜こだわりたいのはその先、加熱方式の選択 です。竹鶴は蒸留釜の温め方について、直火か蒸気かは「周囲の条件で決めるべきもの」だと書き残しています。スコットランドは石炭が豊富で安価だったから直火が主流だった。そして 1930 年代の北海道もまた、石炭が安く手に入る土地だった。だから余市は石炭直火を採った ― この説明は、合理的すぎて少し物足りないくらいです。

物足りなさの正体はこうです。石炭が安かったのは 90 年前の話で、今は違う。にもかかわらず、ニッカは余市の石炭直火を 90 年間やめていない。手で石炭をくべ、灰をかき出し、釜底の温度が上がりすぎないよう経験だけで火加減を調整する という、自動化のしようがない作業を、ベテランの職人が今も毎日続けている。世界でもこの方式を残している蒸留所はごく少数で、ジャパニーズでは余市だけです。

ここで「伝統を守る職人の魂」とまとめてしまうと、いちばん大事な工学が逃げます。彼らが守っているのは精神論ではなく、石炭直火でしか出ない味の成分 です。それが何なのかを次に書きます。

直火とスチーム ― 釜底の温度が味を分ける

ポットスチル(単式蒸留器)の温め方には、大きく二つあります。

石炭直火は、釜の底を炎で直接あぶります。炎が当たる釜底には局所的に非常に高温の点ができ、そこでもろみの糖とアミノ酸が反応する Maillard 反応(メイラード反応:パンの耳やステーキの焼き目を作るのと同じ、加熱による褐変・香ばしさの化学反応)が進みます。同時に、糖が部分的に焦げて生まれる重質の香味成分も加わる。結果として余市のニューポット(蒸留したての原酒)は、重く、香ばしく、油分の多い 方向に振れます。

宮城峡のスチーム間接加熱は、釜の中や周囲に通した蒸気の管でじんわり温めます。釜底に焦げるような高温点ができないので Maillard 反応は穏やかで、加熱は低温・ゆっくり。さらに宮城峡のスチルは胴が膨らんだ バルジ型 で、ライン(蒸気の通り道)が上向きについている。この形だと、気化したアルコールが釜のなかで再び液体に戻る reflux(還流) が多くなり、軽くて華やかな成分だけが上まで登っていく。だから宮城峡は洋梨やはちみつになる。

余市宮城峡
創業1934 年1969 年
加熱方式石炭直火(手焚き)スチーム間接
スチルの形ストレートヘッド型バルジ型・上向きライン
ニューポットの傾向重い・香ばしい・オイリー軽い・華やか・フルーティ

余市の石炭直火(手焚き・ストレートヘッド型)と宮城峡のスチーム間接(バルジ型・上向きライン)を左右で対比した図解。余市側は炎のアイコンとアンバー色で「重い・香ばしい・オイリー」、宮城峡側はしずくのアイコンと緑色で「軽い・華やか・フルーティ」と示し、釜底の局所高温点が生む Maillard 反応の差であることを添えた比較図。

この表で言いたいのは優劣ではありません。同じニッカが、真逆の加熱方式を二つ持っている という工学的な対称です。竹鶴は宮城峡を 1969 年に建てるとき、余市と同じものをもう一つ作るのではなく、あえて反対側の設計を選んだ。新川(にっかわ)の水でブラックニッカを割って飲み、その場で立地を決めたという逸話が残るこの蒸留所は、最初から「余市ではないもの」として構想されています。ブレンドで二つを混ぜたとき、片方だけでは出ない奥行きが生まれる ― そのために対極の二本を用意した、と読むほうが瓶の中身に近い。

余談ですが、余市のストレートヘッド型スチルのてっぺんには、しめ縄が巻いてあります。竹鶴の実家が広島・竹原の造り酒屋だったので、酒造りの神様への作法をそのまま持ち込んだ。最先端の蒸留工学の真上に注連縄が揺れている光景は、この蒸留所の二重性そのものです。

グラスのなかで「焚き火」を解凍する

ここから余市シングルモルトの体感です。45% という度数は、43% の山崎や白州よりわずかに高く、加水なしでもアルコールの刺さりより先に香りが立ちます。

ノーズは、まず 焚き火の煙を吸い込んだ厚手のセーターのにおい。ただしこの煙は、アイラのラフロイグやラガヴーリンのような「正露丸」「ヨードチンキ」とは質が違います。余市のピートはもっと乾いていて、海辺で流木を燃やしたときの、潮を含んだ煙に近い。煙の奥から、オレンジの皮とメロン(マスクメロンの青い部分)がゆっくり出てきます。

口に含むと、まず舌の真ん中に オイリーな重さ が乗ります。これが石炭直火の出力です。薄いコーヒーと、焦がす一歩手前のトフィー、そして塩気。海沿いの蒸留庫で熟成したことを思わせる、舐めた指先のような塩。フィニッシュは中程度に長く、コーヒーとトフィーが先に引いていって、最後に煙と、いちごのような赤い果実の残り香が口の奥に居座ります。

「余市=とにかくスモーキーで武骨」という前評判を持って飲むと、現行のノンエイジはむしろ煙が中庸で、拍子抜けするかもしれません。ヘビーピートのモルトを使ってはいるのですが、製品としての煙は前に出すぎない。武骨さは煙の量ではなく、舌に乗るあの 油の重さ のほうに宿っています。私は最初、もっと黒く焦げた味を期待していて、グラスを傾けながら「思ったより行儀がいいな」と少し肩透かしを食らいました。

右の宮城峡に切り替えると、対比が効きます。同じ 45% なのに口当たりが軽く、洋梨とはちみつ、青りんごの蜜の部分が前に出て、煙はほとんど顔を出さない。余市の油の重さを舌が覚えているぶん、宮城峡の軽さが際立つ。この二本は別々に飲むより、並べて飲むほうが互いの設計を白状させます。

いつ、いくらで、何と飲むか

現行の余市シングルモルトはノンエイジで、かつてあった「余市 10 年」などの年数表記ボトルは終売しています。年数の数字を探して棚を見ても、今はもうない。希少性ばかりが語られがちですが、ノンエイジの現行品は、定価ベースでおおむね 5,000 円前後で設計されたフラッグシップです。ただしジャパニーズ全体の需要過熱で品薄が続いており、店頭やオンラインの実勢価格はそれを上回ることが多い。買えるときに一本確保しておく、くらいの距離感が現実的です(正確な価格は時期と店で動くので、最新は購入時にご確認を)。

飲む場面としては、加水やロックよりまずストレートで、常温。油の重さと煙は冷やすと閉じます。食べ合わせるなら、燻製のチーズや、皮目を香ばしく焼いた魚など、Maillard 側の食材と合わせると、グラスのなかの香ばしさと素直に握手します。逆に繊細な和食には宮城峡のほうが寄り添う。同じ会社の二本を、料理で使い分けられるのは贅沢な話です。

次に余市を飲むとき、舌で確かめてほしいこと

次にこの一本を開けるとき、煙の量を数えるのはやめて、舌の真ん中に乗る油の重さ に注意を向けてみてください。それが、釜底にできた局所高温点と Maillard 反応の出力 ― つまり、誰かが今朝も手で石炭をくべた結果です。スチーム加熱の宮城峡には、どうやっても出せない重さです。

竹鶴政孝が 90 年前に「面倒なほう」を選んだ判断は、今も毎日、炉の前に立つ職人の手によって更新され続けています。効率だけを考えれば、誰も石炭なんて焚かない。自動化された蒸気で十分に旨いウィスキーは作れるし、現に宮城峡がそれを証明している。それでも余市が手焚きをやめないのは、やめた瞬間にこの油の重さが瓶から消えるからです。

少しだけ感傷的なことを書いて終わります。この重さは、炉の前で火加減を読める人がいるあいだしか続きません。手で石炭をくべる職人がいなくなった日に、余市のこの味は、たぶん静かに終わる。だから次の一杯は、ただの「スモーキーなジャパニーズ」としてではなく、誰かの手の記録 として飲んでみてほしいのです。


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