← 記事一覧に戻る

樽は何度生まれ変われるか ― ファーストフィル・リフィル・再チャーの数理と、福與伸二が引き受けたサントリーの『樽在庫問題』

技術
福與伸二サントリーファーストフィルリフィル再チャーrejuvenationオークラクトン近江クーパレッジ輿水精一Japanese whiskycask maturation

ウィスキーの樽は、使い捨てではありません。

一度ウィスキーを詰めて、出して、また詰める。それを何度も繰り返します。けれど、樽は使うたびに痩せていきます。一回目(ファーストフィル)の樽は、内側のオークから大量の成分を渡してくれます。二回目、三回目になると、渡せるものは目に見えて減る。

では、樽は何回まで使えるのか。痩せた樽は捨てるのか、それとも生まれ変わらせるのか。

これは精神論ではありません。減衰する資源をどう配分するか、という在庫の問題です。サントリーでこの問題を引き受けてきたのが、5代目チーフブレンダーの福與伸二です。

ウィスキー樽の抽出減衰曲線の図解。横軸にフィル世代(ファーストフィル→2nd→3rd→再チャー後)、縦軸にオークから移行する成分量(オークラクトン・バニリン・タンニン)を取り、ファーストフィルで最大、世代を追うごとに指数的に減衰し、再チャーで部分的に立ち上がるが新樽の水準には戻らない曲線。サントリー5代目チーフブレンダー福與伸二と近江クーパレッジの樽再生運用を題材にした技術図解。出典: Whisky Science、Diffords Guide、Inge Russell編 Whisky: Technology, Production and Marketing。

樽は何を渡しているのか ― 抽出という現象

最初に、樽が中身に何を渡しているのかを書きます。

ウィスキーの色も香りの相当部分も、蒸留したての無色透明な液体(ニューメイク)には入っていません。樽の中で時間をかけてオーク(ナラ材)から染み出してきたものです。主要なものだけ拾います。

成分香味の対応由来
オークラクトン(cis/trans-β-methyl-γ-octalactone)cis 異性体はココナッツ様、trans は甘いウッディ様オーク材の脂質
バニリン(vanillin)バニラ香リグニンの熱分解
タンニン(エラジタンニン等)渋み・収斂感、色オークの加水分解性タンニン

これらが樽から液体側に移ることを、業界では抽出と呼びます。問題は、オークが渡せる在庫が有限だという点です。一度ウィスキーが吸い出した成分は、次の中身には渡せません。

つまり樽は、使うほど痩せます。ここまでは直感どおりです。

何回で「枯れる」のか ― 3〜4フィルという経験則

では定量的に、樽は何回使えるのか。

ここで断っておきます。この数値は蒸留所・樽材・前回の中身で大きく振れます。だから業界の一般値として、幅で読んでください。

フィル世代一般的な呼称目安の特徴
1回目ファーストフィル抽出力が最大。4〜5年で十分な樽香が乗るとされる
2回目以降リフィル(2nd-fill, 3rd-fill…)抽出力が落ち、同じ樽香を得るのに8〜12年かかるとされる
3〜4回目あたりスペント(枯れた樽)オークラクトンや加水分解性タンニンがほぼ枯渇

化学的に言うと、オークラクトンと可溶性タンニンの大半は、最初のバーボン熟成と次のスコッチ熟成で抜けてしまうとされています。だから2回目、3回目のリフィルが渡せるのは、残りカスに近い。

ここで読者は「では3回で捨てるのか」と計算したくなります。けれど、答えはもう少し先にあります。

再チャー ― 痩せた樽を生まれ変わらせる

捨てる前に、もう一手あります。再チャー(re-char)です。

樽の内側には、製造時に焦がして作った炭の層があります。これをチャーと呼びます。チャーには二つの役割がある。ひとつは硫黄など不快な成分を吸着する活性炭としての役割。もうひとつは、炭層のすぐ下に新鮮な木質を露出させて、抽出可能な成分を供給する役割です。

使い込んだ樽は、この炭層が吸着で飽和し、すぐ下の木質も抜けています。そこで内側を削り直し(デチャー)、もう一度焼く(リチャー)。すると新しい木質層が顔を出し、活性が部分的に戻ります。この一連の処理を樽の再生(rejuvenation)と呼びます。

再生した樽は、さらに3〜4フィル使えるとされます。良いオーク樽なら、再生を挟みながら80〜100年もたせる運用も報告されています。

ただし、ここを誤読してはいけません。**再チャーは新樽に戻す処理ではありません。**削れる木質には厚みの限界があるし、削れば樽の寿命そのものも縮みます。しかも再生した樽は、元の樽より香りがスパイシーに振れる傾向がある。同じ樽番号でも、再生前と後では別人格です。

サントリーには、この工程を自前で持つ強みがあります。近江クーパレッジは1935年に開設された樽工房で、樽の製造・修理・解体までを一貫して扱います。樽の一生を社内に抱えているということは、減衰した樽をいつ再生に回すかという判断も、社内の時間軸で握れるということです。

ウィスキー樽のライフサイクル工程図。新樽(ファーストフィル)→リフィル(2nd、3rd)→スペント(枯れた樽)に至る線形の減衰経路に対し、スペント手前の樽をデチャー(内側を削る)→リチャー(焼き直す)で再生し、再びリフィルとして循環に戻すループを矢印で示す。各段階で抽出されるオークラクトン・バニリン・タンニンの相対量と、再生後はスパイシーに振れる特性を併記。サントリー近江クーパレッジと福與伸二の樽運用を題材にした技術図解。

在庫としての樽 ― 減衰資源のポートフォリオ問題

ここからが、エンジニアに刺さる核です。

ブレンダーが現実に抱えているのは、一個の樽ではありません。何万という樽の集団です。そのひとつひとつが、別々のフィル世代にいます。新しいファーストフィルもあれば、三度目のリフィルも、再生したばかりの樽もある。抽出力がバラバラの資源が、倉庫の中に分布として存在しています。

目標とする一本の味は、この分布から取り出した樽を配合して作ります。

すると問題は、こう書き換えられます。**減衰する資源の在庫分布を保有し、目標プロファイルに合わせて配合する最適化問題。**これはエンジニアが見慣れた構造です。在庫の各単位は時間とともに価値(抽出力)が減衰し、補充(新樽購入・再生)にはコストがかかる。配合は、その時点の在庫分布の中からしか選べません。

ファーストフィルに寄せれば、濃く、若くても樽香が乗ります。けれどコストは上がり、原酒の個性は樽香に押し負けます。リフィルに寄せれば、繊細で原酒の素性が出ます。けれど力不足になりやすく、目標まで長期熟成が要る。どちらかに振り切ると破綻するので、分布のバランスを管理し続けるしかない。

新製品をひとつ出すたびに、この分布が変わります。十年後の配合可能性まで見て、今どの世代の樽を何本作るかを決める。これは料理というより、在庫管理です。

トレードオフ ― 三つの選択肢に正解はない

整理します。ブレンダーの手元には三つの選択肢があります。

選択得られるもの失うもの
ファーストフィル偏重濃い樽香、短い熟成期間樽コスト、原酒個性の埋没
リフィル偏重繊細さ、原酒の素性力不足、長期化による在庫圧迫
再チャーで延命コスト圧縮、樽寿命の延長元のキャラクター喪失、寿命の前借り

ここで「結局どれが正解か」と書きたくなります。けれど、それは罠です。

正解は目標プロファイルと在庫制約で変わります。重厚なシェリー樽主体の銘柄を狙うならファーストフィル寄り。原酒の蒸留所差を聴かせたい銘柄ならリフィル寄り。樽コストを抑えつつ量を確保するなら再チャーを織り込む。三つは同じ天秤の上にあって、どれを選んでも何かを払います。

払うものを理解した上で選んでいるか。それが craft と無自覚の差です。

福與伸二 ― 樽在庫問題を引き受けた人

この配分を、サントリーで現に握っているのが福與伸二です。

短く人物軸を置きます。福與は1961年、愛知県の生まれ。名古屋大学農学部農芸化学科を出て、1984年にサントリーへ入社しました。白州蒸溜所とブレンダー室を経て、1996年に渡英。ヘリオットワット大学に駐在し、モリソンボウモア社へ出向しています。スコットランドで樽と熟成を現場から学んだ人です。

2002年に帰国し、のちにサントリー5代目チーフブレンダーとなります。前任は4代目の輿水精一で、輿水は1999年からチーフブレンダーを務め、2014年に退任しました。福與はその系譜を継いだ現役の意思決定者です(就任年については2009年・2014年と資料で記述が揺れるため、ここでは断定しません)。

輿水の仕事は、響という銘柄で「どの音も突出させない」配合を15年ぶらさず出し続けることでした。福與が引き継いだのは、その配合を可能にする樽在庫そのものの管理です。原酒不足が語られた時期に、限られた樽の分布をどう配分し、どの樽を再生に回し、どの世代を仕込むか。英雄譚にする話ではありません。減衰資源を冷静に配分し続ける、地味で連続的な判断です。

樽の使い方という観点で並べると、見え方が立体になります。Billy Walker の GlenAllachieは「成熟した原酒をどの樽に詰め替えるか」という樽政策の craft でした。David Stewart の Balvenie PortWoodは「樽を二度使い分ける」発明の話。本記事はそのどちらとも違い、「同じ樽を何回使い、いつ生まれ変わらせるか」という時間軸の話です。さらにオーク材そのものの種差についてはStuart Macpherson の三種のオークが扱っています。本記事は、その同じ樽を繰り返し使う側の数理を担当します。

なぜファーストフィルのボトルは高いのか

最後に、読者が次に棚で使える知識へ落とします。

ラベルに「ファーストフィル」と書かれたボトルは、たいてい高い。これは希少性の演出ではなく、原価の話です。一度しか使っていない樽は、その後の二度目・三度目に渡せたはずの抽出力を、その一本に集中投下しています。つまり樽の生涯抽出力を一本で使い切る、贅沢な配分です。

逆に「リフィル」表記のボトルが軽く、安いことが多いのは、樽が渡せるものが減っているからです。値段の差は、品質の上下ではなく、樽という資源をどれだけ濃く投じたかの差です。これを知っていると、価格を味のヒントとして読めるようになります。

結び ― 痩せていく木と、それでも続く配分

樽は痩せます。再生しても、新樽には戻りません。

それでもブレンダーは、痩せていく資源の分布を握って、毎年配合を決め続けます。今夜あなたが開けるボトルの中身は、何度目かのフィルの樽と、再生した樽と、運よく残ったファーストフィルの樽が、ある分布で混ざった結果です。福與がどの世代をどう配分したか、その判断の出力が、グラスの中に音として残っています。

次にファーストフィルとリフィルの表記を見比べるとき、思い出してください。あれは在庫分布の断面図です。痩せていく木と、それを生まれ変わらせる工房と、減衰資源を配分し続ける一人の判断が、一本の値段と味に畳み込まれています。


出典 / 参考:

  • 萌木の村「ブレンダー福與伸二氏」プロフィール、井ノ実life「サントリー五代目チーフブレンダー・福與伸二氏」
  • Wikipedia「輿水精一」、CELLARR®「輿水精一(サントリー名誉チーフブレンダー)」(輿水の在任 1999〜2014)
  • Whisky Science, “Rejuvenation”(2011)/ Diffords Guide “Single Malt Scotch Whisky Production – Maturation” / Whisky.com “Maturation in Casks”
  • Inge Russell (ed.), Whisky: Technology, Production and Marketing, 2nd ed., Academic Press(熟成・樽章)
  • 近江クーパレジ株式会社 事業案内(1935 年開設、サントリーの樽工房)

(フィル世代ごとの年数・回数は蒸留所・樽材・前回の中身により大きく振れるため、本文では業界の一般値を幅で示しています。福與伸二の就任年は資料間で記述が揺れるため断定を避けました。)