ジム・スワン (Jim Swan) の遺言 ― STR樽と6つの新世界蒸留所を残して2017年に逝った化学博士
ジム・スワン (Jim Swan) の名前は瓶に載らない。彼が指導した Kavalan / Amrut / Kilchoman のラベルには、蒸留所の名前だけがある。私の棚の Kavalan Solist Vinho Barrique の裏ラベルにも、Jim Swan と書かれていない。それでも、あの瓶の中の4年物が「若すぎない」ことの説明は、彼が残した STR 樽の判断まで戻らないと成立しない。
新世界ウイスキーを「Scotland の劣化コピー」と書いた 2010年の自分に、この名前を教えたい。彼はコピーを作った人ではない。Scotland 型ではないやり方を、化学の言葉で書き下して他人に渡した人だ。

1990年代、彼が「独立する」と決めた理由
Jim Swan は 1941年12月25日、クリスマスの日に生まれた。エディンバラの Heriot-Watt 大学で化学と生物科学の博士号を取り、そのまま業界に入った。学界に残らなかった。
1980年代の Highland Distillers での顧問時代、彼はすでにブレンダーではなく プロセス・エンジニアの側 に立っていた。Bruichladdich、Glengoyne、Highland Park などの技術判断に関わり、この頃に STR 樽 (Shaved-Toasted-Recharred) の原型を試作していたと後年振り返っている。
彼が独立コンサルタントに転じたのは 1990年代。理由を公に語った資料は残されていない。ただ、彼が独立後に受けた仕事の並びを見ると、判断の輪郭は逆算できる。Penderyn (ウェールズ、2000年)、Kavalan (台湾、2005年)、Kilchoman (アイラ、2005年)、Amrut (インド)、Cotswolds (イングランド)、Lindores Abbey (スコットランド)、Milk & Honey (イスラエル)。
いずれも Scotland の既存大手ではない。既存大手には既存の技術者がいて、既存の答えがある。Jim Swan が引き受けたのは、ゼロから蒸留所を建てる側の相談だった。彼の商品はブレンドの才ではなく、「まだ蒸留していない蒸留所に対して、蒸留する前に樽を選び、原酒の設計を渡す」 という一段抽象度の高い仕事だった。独立しなければ受けられない仕事だ。
2005年、台湾で「亜熱帯ウイスキー」を引き受けた判断
Jim Swan の名前が新世界ウイスキーの側で決定的になったのは、2005年の台湾 Kavalan 立ち上げだ。King Car Group から呼ばれた彼が、宜蘭で蒸留を始める Ian Chang (張郁嵐) と組んだ。
宜蘭の気候は年平均気温 22°C、湿度 80%。Scotland の熟成庫と比べれば、樽から蒸発する天使の分け前 (angel’s share) は年 10-15%、上層階では 18% を記録した年もある。Speyside の年 2% と比較して 5-7倍。長熟は経済的に成立しない。
書いて彼を英雄視したいところだが、実際にはもう少し即物的だ。Jim Swan がここで持ち込んだ判断は「亜熱帯で長熟が無理なら、短熟で長熟相当の樽反応を得られる樽を選び直せばいい」というものだった。アレニウス則で反応速度は 10°C 上昇で概ね 2-3倍になる。 台湾で 4-6年の熟成は、化学反応の速度としては Scotland での 15-20年に相当する ― という定量的な予測を、彼は原酒を仕込む前の段階で書いていた。
Kavalan Solist が 4-6年で世界的な評価を得たのは、Ian Chang の腕もあるが、その前段に 樽を選ぶ人間の判断 がある。判断を下した人物の名前が瓶に印刷されない構造は、蒸留業界特有のものだ。
STR樽 ― Jim Swan が特許を取らなかった発明
STR 樽の3文字は Shaved-Toasted-Recharred の頭文字。使い終わった赤ワイン樽 (ボルドーやリオハが多い) の内壁を機械で数ミリ削り取り、新鮮なオーク面を露出させて中温で焼き、最後に短時間の高温で表面を炭化させる。
この工程はもう少し詳しく解説する価値があるが、技術的な詳細は英文の craft 記事に譲る。ここで書き留めておきたいのは、Jim Swan が この技法の特許を取らなかった という事実の方だ。
「レシピは秘密にできても、樽の物理は秘密にはできない」と彼が言った、と伝えられている。この一文には、彼のキャリア設計そのものが埋まっている。特許を取れば彼のところに使用料が集まる。取らなければ、彼が指導した蒸留所群が同じ技法を共有する。特許を取らないという判断は、彼が「発明家として稼ぐ」路線を降りて「共通言語を配る」路線を選んだという意味だ。
もちろん trade-off はある。STR 樽の抽出は速い。速すぎると若い原酒に木の苦味が乗る。Penderyn の STR 樽での標準熟成は 4-7年、それ以上長く置くと Scotland の refill ex-bourbon で 12-18年置いた樽よりも苦く木質的になりやすい。彼は「STR 樽は revolutionary」とは書かなかった。適切な滞留時間があり、それを超えれば裏返る、という前置きを常につけていた。工程を配ってから使い方の注釈を付ける。エンジニアの仕事の作法だ。
Kilchoman ― 「三年で瓶詰めできる」と言った男
2005年、アイラ島の Rockside Farm で Kilchoman が最初のスピリットを流したとき、Anthony Wills の隣に Jim Swan が立っていた。Wills が後年 Jim Swan の逝去時に残した追悼記の一節が、この関係の性質を最もよく伝える。
「彼は言った。『これをよく世話すれば、3年で瓶詰めできる』と。それは予言のように正しかった。私は彼の知識なしに Kilchoman を成功させられたとは、いまも思っていない」
3年で瓶詰めできるスコッチという判断は、当時のアイラの常識からは外れていた。Ardbeg も Laphroaig も、最短の官能表現に至るまで 10年以上を要していた。Jim Swan は、Kilchoman の水質と麦芽の煙とスチルの銅接触面積を並べたうえで、「この設計なら 3年で味の輪郭は完成する」と数字で切った。 その予測はほぼそのまま当たり、Kilchoman は 2009年に3年物を最初にリリースし、10年経たずにアイラの主要銘柄群に入った。
工学的判断の恐ろしさは、外れれば蒸留所ごと沈むところにある。Jim Swan は自分では蒸留所を持たない側の人間だった。判断を渡して次の現場に移る。Anthony Wills 側は判断を受け取って自分の生活の全部を賭ける。そういう非対称のなかで、彼らは友人になった。「Quiet, unassuming and irreplaceable (静かで、控えめで、代えがきかなかった)」というのが Wills の Jim Swan 評だ。追悼バイアスを引いても、この形容は業界の複数の関係者が別々に残している。
2017年2月14日、Longniddry の自宅で
Jim Swan は 2017年2月14日、東ロージアンの Longniddry の自宅で亡くなった。75歳。バレンタインデーだった。
前年まで彼は Lindores Abbey (スコットランド)、Milk & Honey (イスラエル)、Macaloney’s (カナダ) など複数の新世界蒸留所の立ち上げに関わっていた。逝去の時点で、彼の設計から実際に生産を続けていた蒸留所は 6つを超えていた。ラベルに彼の名前はない。ただ、樽と設備の設計と、蒸留前に書き下ろされた原酒の輪郭が、それらの蒸留所すべてに残っている。
彼が育てたのはレシピではなく、「気候と樽と時間で whisky は書ける」という確信 の方だった。Ian Chang が Kavalan の後、長野の小諸で真逆の climate に踏み出したのも、Anthony Wills がアイラの湿った空気のなかで Kilchoman を続けているのも、たぶんこの確信の下流にある。継承者たちの瓶を私が今夜も注ぐとき、注いでいるものの半分は彼の書いた予測式だ。ラベルに彼の名前はない、と何度でも書いておく。書かないと、そのことが忘れられる。
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