Andrew Symington と Edradour ― ボトラーが『最小の蒸留所』を買って、効率化を拒んだ話
ウイスキーを売る人と、造る人は、普通は別の人間です。
Andrew Symington は、長いあいだ前者でした。1988年、彼は弟とともに Signatory Vintage というインディペンデントボトラーを立ち上げます。インディペンデントボトラーとは、自分では蒸留せず、各蒸留所から樽を買い、選び、自分の名前で瓶詰めして売る商売のこと。彼はエディンバラの Prestonfield House Hotel で働くうちにシングルモルトに惚れ込み、その目利きを生業にした人でした。やがて弟の持ち分を買い取り、会社は彼ひとりのものになります。
つまり彼は14年間、「他人が造った液体を選ぶ」側にいた。ところが2002年、彼は造る側に回ります。スコットランド最小級のファーム蒸留所、Edradour を買ったのです。
ここで一つ、引っかかっておきたいことがあります。ボトラーが蒸留所を買うとき、普通やることは決まっています ―― 設備を入れ替え、人を増やし、増産する。せっかく自分の蒸留所を持つのだから、効率化して儲ける。けれど Symington がやったのは、ほとんど正反対のことでした。彼は、その蒸留所の「非効率」を、わざと残したのです。これは、その選択の話です。

なぜ彼は「最小」を選んだのか
Edradour は1825年、ペイスシャーの Pitlochry 近郊に農民の共同体が建てた蒸留所です(scotchwhisky.com の whiskypedia による)。19世紀のファーム蒸留所 ―― 農場の片隅で、農閑期に大麦を酒に変える小さな営み ―― が、ほぼそのままの規模で生き残った、稀有な一基でした。「スコットランド最小の伝統蒸留所」と呼ばれ、製造に関わるのは2〜3人。工程の多くが、今も手作業です。
買収の経緯にも含みがあります。Edradour はそれまで26年間、フランスの Pernod Ricard 傘下にありました。Symington の取得は、この蒸留所を四半世紀ぶりにスコットランド人の手に戻す、という意味も帯びていたのです。
では、彼はなぜ「最小」のまま運営することを選んだのか。一つには、設備そのものが理由でした。Edradour のスティル(蒸留器)は、スコットランドで合法的に使える最小サイズと言われるほど小さい。ここを大きくすれば、それはもう Edradour ではなくなる。彼が買ったのは「小さいという個性」そのものだったのです。
そして、その小ささを支える道具のひとつが、Morton’s refrigerator でした。これは麦汁を冷やすための古い管式の冷却器で、もともとは酪農用に作られたもの。今もこれを現役で使っているのは、ウイスキー業界で Edradour ただ一基だと言われています。効率を考えれば、とうに新型の熱交換器に替えるべき代物です。Symington はそれを、残しました。
蒸留の最後の冷却にも、worm tub という古い方式が使われています。スパイラル状に曲げた銅管を水槽にくぐらせて蒸気を液体に戻す、現代の多くの蒸留所が省スペースな凝縮器に置き換えてしまった旧式の冷却装置です。worm tub を通った原酒は、銅との接触が少ないぶん、重く、硫黄っぽい厚みを残しやすいと言われます。つまりこれらの道具は、ただ古いから残っているのではなく、Edradour のあの肉厚な味そのものを形づくっている。設備を新しくするとは、味を変えるということでもあったのです。Symington が「替えない」と決めたのは、懐古ではなく、たぶん風味設計の判断でした。
守護者の物語にはしたくない
ここで彼を「消えゆく伝統の守護者」と書きたくなります。でも、それは少し美しすぎる。
正直に言えば、Symington は懐古趣味だけの人ではありませんでした。買収の翌2003年、彼は Edradour に Ballechin という新しいラインを立ち上げます。これは重くピートを焚いた ―― 燻製のような煙の香りを大麦に染み込ませた ―― ハイランドでは珍しい強スモーキーなモルトで、ピートの指標であるフェノール値は50ppm以上(lochsofwhisky 等による)。Edradour 本流が穏やかなノンピートであるのと、まるで対照的です。
つまり彼は、片方で19世紀の手作業を温存しながら、もう片方で、その同じ最小設備を使って攻めた新製品を投入した。守るためではなく、自分の裁量で動かすために、小ささを選んでいたのです。
ここに、彼の判断の核があると私は思います。彼が拒んだのは「伝統の変更」ではなく、「規模の拡大」のほうでした。蒸留所を大きくすれば収量は上がる。けれど、2〜3人で全工程に目が届く、あの手の届く範囲のコントロールは失われる。ボトラーとして14年、無数の樽を一つひとつ「これは良い、これは違う」と選び抜いてきた人にとって、手放したくなかったのは、たぶんその「選べる距離」だったのでしょう。効率と引き換えに、彼は掌握を選んだ。
この見立てを、私は少し割り引いておきたいとも思います。小ささの温存を、純粋な美学の結晶として語るのは簡単です。けれど現実には、最小の設備をいきなり拡張するには莫大な資本がいる。ボトラー出身の独立系が、買って早々に大増産へ踏み切れなかったのは、信念であると同時に、台所事情でもあったはずです。彼の選択を「賢明な決断」と持ち上げる前に、選べる手札がそもそも限られていた可能性も、公平に置いておくべきでしょう。それでも ―― 制約の中で何を残し、何に新しく賭けるかには、その人の価値観が出ます。Ballechin という攻めの一手を同時に打てたことが、彼が制約に流されただけの人ではなかったことを、静かに証明しています。
小ささは、ずっと割に合わない
この選択の代償は、決して小さくありません。
最小規模の手作業蒸留所は、原理的に、量で儲けることができない。同じ手間をかけても、大手の数十分の一しか造れない。Edradour 10年が日本でおおむね8,000〜12,000円台(要確認)という、決して安くない価格帯に着地するのも、その非効率がそのまま値段に乗っているからです。これは「割に合わない選択」を、毎年し続けるということでもあります。
似た決断を、私たちは別の場所でも見てきました。羽生の樽を抱えてゼロから秩父を建てた肥土伊知郎もまた、ブローカー的な立場から「造る側」へ渡った人でした。逆に、John Glaserは蒸留所を持たないことを選び、ブレンドという行為そのものに賭けた。Symington は「持つ」を選び、Glaser は「持たない」を選んだ。どちらが正しいという話ではなく、二人とも、自分が掌握したい一点を見極めていたのだと思います。
そして ―― これは余談に聞こえるかもしれませんが ―― 蒸留所を所有するということは、それを閉じない責任を負うことでもあります。内堀修身と軽井沢が示したように、小さな蒸留所はあまりに簡単に、静かに消えていく。Symington が選んだのは、その静かな消滅の手前で、毎年、割に合わない火を入れ続けることでした。
私は、Edradour のグラスを傾けるたびに思います。この一杯の穏やかさは、誰かが「大きくしない」と決め続けてきた、その毎年の判断の蓄積なのだと。効率を拒むという選択は、一度きりの英断ではありません。それは、毎朝もう一度選び直さなければ消えてしまう、地味で、終わりのない決意のことです。彼は派手な守護者ではなく、ただ、小ささを手放さなかった経営者でした。瓶の中に残っているのは、その頑固さの味です。