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George Urquhart と Gordon & MacPhail ― 瓶詰め屋が『熟成庫そのもの』になり、最後に Benromach を建て直した話

人物
George UrquhartGordon & MacPhailBenromachConnoisseurs Choiceインディペンデントボトラー熟成

ウイスキー造りで一番退屈な工程は、おそらく「待つこと」です。

大麦を発酵させるのは数日、蒸留するのは一日で終わる。けれど樽に詰めたあとは、ただ待つ。十年、二十年、ときに半世紀。その間、誰も何もしません。倉庫の中で液体が静かに木と話しているのを、人間はただ放っておく。これほど地味で、これほどお金の眠る時間はありません。

George Urquhart は、その「待つこと」を事業にした人でした。

彼が四代続く家業を率いた Gordon & MacPhail は、スコットランド北部エルギンの食料品店から始まった会社です。蒸留所ではありません。自分では一滴も蒸留しない、瓶詰め屋でした。それでも「古いシングルモルトで世界一信頼される名前」と呼ばれるまでになり、最後には沈黙していた蒸留所 Benromach を買って、1960年代に捨てられたスペイサイドの味を一から作り直した。これは、その遠回りの話です。

George Urquhart と Gordon & MacPhail のタイムライン、および「瓶詰め屋が熟成庫になる」進化を示す対照図。1895年エルギンの食料品店として創業、John Urquhart が番頭として参加、1915年に上級パートナーとなり熟成の親方になる。1933年に息子 George が参加、1940年に Glenlivet で15樽のファーストフィル・シェリーバットを詰める(後の世界最古級ウイスキー)、1956年に George が上級パートナーに、1968年に Connoisseurs Choice を創設して『熟成済みシングルモルト』という商品カテゴリを発明、1993年に閉鎖されていた Benromach を取得、1998年に再稼働。下段は「瓶詰め屋(他人の酒を詰めて売る薄利の中間業)」から「熟成のオーサー(自前で樽を選び数十年寝かせる)」へ、そして「垂直統合(自社蒸留+自社熟成)」へという三段の進化。

詰めて売るだけの商売を、変えた

Gordon & MacPhail は1895年、James Gordon と John Alexander MacPhail という二人が、エルギンの目抜き通りに開いた食料品・酒類商として始まりました(gordonandmacphail.com の社史による)。紅茶も、缶詰も、ウイスキーも、同じカウンターの上で売る、ごく普通の街の店です。

そこへ番頭として入ったのが John Urquhart でした。彼は1915年に上級パートナーとなり、会社は以後ずっと Urquhart 家の私有のまま、四代にわたって受け継がれていきます。George Urquhart(1919–2002)は、その二代目。1933年に父 John のもとで家業に加わり、1956年に上級パートナーになりました。

ここで、インディペンデントボトラー(独立瓶詰め屋)という商売の説明を少し挟ませてください。彼らは自分では蒸留しません。各蒸留所から樽や原酒を買い、自分の名前で瓶に詰めて売る。本来これは「他人が造った酒を右から左へ流す」薄利の中間業です。出来上がったウイスキーを安く仕入れ、瓶に詰めて、利幅を乗せて売る。それが普通のやり方でした。

George が、というより Urquhart 家が変えたのは、ここでした。彼らは出来上がった酒を買うのではなく、蒸留所から新酒(ニューメイク)の段階で原酒を買い、自分たちで選んだ樽に詰めて、何十年も寝かせた。シェリー樽か、バーボン樽か。どの蒸留所のどの原酒を、どの木に合わせるか。George は生涯、その一点に執着した人だったと言われます ―― 一つひとつの原酒に、最もふさわしい樽を当てる。瓶詰め屋を、いわば「熟成のオーサー(作者)」に変えたのです。

象徴的なのが1940年です。戦時下のその年、彼らは Glenlivet で15樽のファーストフィル・シェリーバットを詰めました。半世紀以上たって、それらは世界最古級のシングルモルトになります。1940年に樽を寝かせた人間は、それが世に出る前にこの世を去る。瓶詰め屋が熟成庫になるとは、そういう時間の賭けのことでした。

必殺技は、放置すること

ここで George Urquhart を「卓越した目利きの天才」と書きたくなります。でも、それは少し格好をつけすぎです。

正直に言えば、彼の必殺技は蒸留でも調合でもありませんでした。それは、高い樽を大量に買い込んで、何十年も触らずに放置する忍耐です。良いシェリー樽は高い。新酒も仕入れ値がかかる。それを倉庫に積み上げ、何の利益も生まないまま二十年、三十年と寝かせ続ける。やっていることの中身は、ひたすら「待つ」だけ。魔法のような職人芸ではなく、退屈なほど地道な資本の判断です。

ただ、その地道さが一度だけ、はっきり「発明」と呼べる形になりました。1968年、George は Connoisseurs Choice というシリーズを立ち上げます(gordonandmacphail.com / The Scotsman の追悼記事による)。当時の市場はブレンデッドウイスキー一色で、単一蒸留所の原酒を「シングルモルト」として売るという発想自体がほとんどありませんでした。George はそこに、無名の小蒸留所の原酒を熟成させ、蒸留所名を冠して瓶詰めするという棚を作った。樽の種類、瓶詰め年、度数、ヴィンテージ ―― その一本の履歴をラベルに刻んで売る。以後この範囲はおよそ100の蒸留所、2,000以上のボトリングに広がり、「熟成済みシングルモルト」という商品カテゴリそのものを、事実上 George が発明したことになります。

これも、起点は同じ判断でした。出来上がった酒を買うのではなく、自分で樽を選んで時間で勝つ。蒸留所が軽量化と効率化に走り、重く個性的な原酒や古酒を切り捨てていく時代に、Gordon & MacPhail はそれらを在庫として抱え込み、生き延びさせた。彼らは「待つ」という最も退屈な行為を、誰よりも長く、誰よりも大量にやり続けた会社でした。

在庫に資本を寝かせる、という賭け

この選択を「賢明な長期戦略」と持ち上げる前に、その代償も公平に置いておくべきでしょう。

時間で勝つ事業は、裏返せば、資本を何十年も眠らせる事業です。1940年に詰めた樽が現金になるのは、運用する人間がとうにいなくなった頃。その間、樽は倉庫代と保険料を食い続け、天使の分け前(蒸発)で目減りし、いざ瓶詰めしたときに市場が振り向いてくれる保証もない。Connoisseurs Choice が当たったから今は「先見の明」と語られますが、シングルモルトのブームが来なければ、George はただ売れない古酒の山を抱えた頑固な瓶詰め屋で終わっていたかもしれません。

George が天才だったというより、四代続く同族会社で、年単位ではなく世代単位で意思決定できる立場にあったことが大きい ―― そう割り引くのが公平でしょう。上場企業の経営者には、三十年後に回収する樽になど資本を寝かせられません。Urquhart 家が「待つ」を事業にできたのは、信念であると同時に、急いで配当を出す相手のいない私有会社だったからでもあります。

それでも ―― 制約の中で何に賭けるかには、その人の価値観が出ます。樽を先に選び、時間を味方につける。この姿勢は、似た決断を別の場所でも見せてくれます。David Stewart が Balvenie でカスクフィニッシュという「樽で味を設計する」手法を確立したのも、樽を風味のオーサーとして扱う同じ系譜にありました。George はそれを、一本の瓶ではなく、会社の在庫そのものでやってのけた人です。

そして、蒸留所を建て直す

George の長期戦には、最後の到達点がありました。

1983年、United Distillers(後の Diageo)は、エルギンから十数キロの Benromach を含む八つの蒸留所を一度に閉鎖します。Benromach は沈黙し、設備は外され、空の建物だけが残りました。そして1993年、Gordon & MacPhail がその空っぽの蒸留所を買います。瓶詰め屋が、ついに造る側へ回ったのです。

これは、瓶詰め屋がやってはいけないことの典型でした。大麦も、酵母も、排水処理も、給与も、目詰まりするスティルも ―― 瓶詰めという商売は、そうした蒸留所のあらゆる費用と雑事を引き受けないためにこそ存在します。それを、わざわざ自分で背負い込む。彼らは五年かけて設備を入れ直し、1998年10月、チャールズ皇太子(当時)の手で蒸留所を再稼働させました。食料品店が、蒸留所になった瞬間です。

しかも、ただ造り始めたのではありません。彼らは Benromach で、1960年代以前のスペイサイド ―― 鉄道がコークスを運んでくる前、どの蒸留所も麦芽を泥炭(ピート)の火で乾かし、ほのかな煙をまとっていた頃の、重く油っぽい原酒 ―― を意図的に作り直しました。軽く(10〜12ppm 級に)ピートを焚いた麦芽、スペイサイド最小級の小さなスティル、ファーストフィルのシェリー樽。効率を考えればどれも選ばない道を、わざと選んで、地域が半世紀前に捨てた味を一から組み立て直したのです。その瓶 Benromach 10 がグラスの中で何を意味するかは、英語版のテイスティング記事で書きました。本稿はその裏側 ―― 誰のどんな決断がその瓶を生んだか ―― の話です。

似た弧を描いた人は、他にもいます。Mark Reynier はワイン商から Bruichladdich を買い戻し、Andrew Symington はボトラーから最小蒸留所 Edradour のオーナーになりました。買って効率化するのではなく、買って「失われかけた何か」を守る、あるいは作り直す ―― この型の決断者は、ウィスキー史に幾人もいます。George Urquhart が彼らと違うのは、買収を最後の一手にする前に、半世紀かけて「待つ」という土台を築いていたことでした。

待った人は、配当を見なかった

Benromach が1960年代の味を取り戻せたのは、設備や技術以前に、誰かがずっと前から「時間で勝つ」という賭けを積み上げてきたからです。樽を先に選び、何十年も寝かせ、市場が来るのを待つ ―― George Urquhart が瓶詰め屋に持ち込んだその哲学があったからこそ、Gordon & MacPhail は蒸留所を建て直すだけの体力と知恵を、結果として手にしていました。

けれど、長期戦を選んだ人間の宿命として、彼はその配当の全部を見届けることはできませんでした。1968年に蒔いた Connoisseurs Choice が「シングルモルトの時代」として満開になるのを、彼はかろうじて目にしました。けれど、2019年に彼の生誕100年を記念して、1956年に彼自身が寝かせた樽から62年物のグラスが世に出たとき(thespiritsbusiness.com 等による) ―― George Urquhart は、もうそこにいませんでした。2002年、エルギンで、82歳で世を去っています。

それは、彼の生き方からすれば、ほとんど出来すぎた結末です。「待つこと」を事業にした人は、自分が始めた最長の一手の決着を、自分では見られない。1940年の樽も、1956年の樽も、Benromach の再建も ―― すべては、種を蒔いた本人が刈り取りの場にいないことを前提に組まれた賭けでした。

私は、Gordon & MacPhail の古いボトルを目にするたびに思います。この一本の深さは、誰かがずっと前に「これを寝かせよう」と決めて、そのまま何十年も触らずにいてくれた、その忍耐の蓄積なのだと。George Urquhart は派手な蒸留家でも、名高いブレンダーでもありませんでした。ただ、誰よりも長く待つことを選び、その配当を見ないまま去った男です。瓶の中に残っているのは、彼が見られなかった時間の味です。