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Aberlour A'Bunadh と Graeme Cruickshank — Batch ごとに違うのに A'Bunadh のままでいられる理由

テイスティング
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5 月の東京、外気 20°C、室温 22°C。グレンケアン・グラスに、まず 1 杯だけ注ぎます。Aberlour A’Bunadh Batch 79

ノージング(鼻でだけ嗅ぐ最初の段階)を始めて 10 秒で、この瓶が「他とは別の音」を立てていると気づきます。あとから比較用にもう 2 本並べることになるのですが、最初の 10 秒で確信したのはこの 1 杯のほうです。

この感じを「カスクストレングスだから」「シェリー 100% だから」と片付けたくありません。Batch 番号が打ってある瓶を 29 年連続で出し続ける、という設計がそこにあると気づいてからの話を書きます。

1879 年、銀行家がスペイ川の岸辺に建てたもの

Aberlour 蒸留所は 1879 年、銀行家の James Fleming が Speyside の Aberlour 村に創業しました。Fleming は小作農の息子で、穀物の仲買人として身を起こした人物です。

翌年から生産が始まり、開業まもなく蒸留史家 Alfred Barnard が「完璧な近代蒸留所」と書き残したぐらいの水準で立ち上がります。Fleming は慈善家として知られていて、村のタウンホール、街灯、Spey 川の鋼索橋を私財で建てた人でもありました。

蒸留所は彼の晩年に売却され、それから 130 年以上、Aberlour は 6 回オーナーが変わって、1975 年から Pernod Ricard 系列(現 Chivas Brothers)に落ち着いています。

私が書きたいのはここです。147 年で 6 回オーナーが変わった蒸留所が、なぜ A’Bunadh というラベルの中身を「A’Bunadh と気づける幅」に保ち続けられているのか

Graeme Cruickshank — 倉庫から始まり、3 つの蒸留所を見ている人

A’Bunadh の裏側で現場を回しているのは Graeme Cruickshank、現 Aberlour Master Distiller です。2015 年に就任しました。

Graeme のキャリアは 1985 年、Chivas Brothers の倉庫業務(warehouseman、樽の出入りを管理する現場職)から始まっています。最初は Master でも Manager でもなく、樽番。Lagavulin の Iain McArthur が 1970 年に Islay の樽番から始まったのと同じ系統で、Speyside 側でも warehouse から上がってきた人間が現役で蒸留所を回しています。

現在の Graeme の担当は Aberlour 1 つではありません。Aberlour + Glenallachie + Tormore という Chivas Brothers が Speyside で保有する 3 拠点を兼任しています。A’Bunadh のために、スペインの Jerez まで自分で出かけて Oloroso 樽を選定する、という距離感の仕事です。

ここでもう一人重要な名前を挙げないと A’Bunadh の話は閉じません。Sandy Hyslop、Chivas Brothers 全体の Master Blender(ブランド全体の最終味判定責任者)です。Chivas Regal 12 / 18 / 25、Royal Salute、Ballantine’s の最終 vatting(樽から取り出した原酒を所定の比率で混ぜる工程)承認をしているのが Hyslop で、A’Bunadh の最終 batch composition も彼のサインアウトを通ります。

つまり A’Bunadh は、現場の cask 選定が Cruickshank、本社側の最終 vatting 承認が Hyslop、という分業構造で出てきます。Glenfiddich 12 を 1 人の Malt Master が 60 年同じ味で守る構造とは、意思決定の分散の仕方そのものが違います

A’Bunadh の 4 条件 — なぜこの仕様で 80 batch 続けられるのか

A'Bunadh の vatting workflow 図。Aberlour warehouse の first-fill Oloroso butts 候補から Graeme Cruickshank チームが cask 選定、Jerez bodega での自身による樽選定も含む、Sandy Hyslop が vatting ratio と ABV target を承認、cask strength で chill filtration なしのまま bottling、Batch No. が明示されてラベルに印刷される、という分業フローを示す。

A’Bunadh は 1997 年から定期リリースされている瓶で、2026 年現在の最新 batch は 84 番に近づいています。仕様を 4 つに分解します。

条件内容何のためか
NAS(No Age Statement、年数表記なし)「最低何年熟成」を明記しない樽の年齢 mix を batch ごとに自由に組める
Cask Strength(加水なしの瓶詰め)batch ごとに 59-62% ABV のレンジ加水時の dilution(水で薄める)変動を排除
First-fill Oloroso 樽 100%スコッチ熟成に使うのが「最初のシェリー樽」だけprofile の核が崩れない
Batch No. の明示ラベルに番号、batch ごとに ABV と簡易ノートを公開「微妙に違う」を消費者に説明可能にする

この 4 条件は別々に決まったのではなく、互いを支え合うように設計されているのがポイントです。NAS にするから cask age mix を batch ごとに変えられる。Cask strength にするから dilution variance(加水比率のブレ)を排除できる。Oloroso 100% にするから profile の核が崩れない。そして Batch No. を明示することで、上の 3 つから出てくる「batch ごとの個体差」を消費者に説明可能にしている。

エンジニアの読者には伝わりやすいはずですが、これは Glenfiddich 12 の semantic versioning(12 = メジャー固定) とは反対側の、rolling release with explicit batch tag(逐次リリース + 毎回バージョンタグを明示)の発想です。Glenfiddich 12 が「同じ味、年間 1,400 万本超」を実装する LP solver 的な仕事だとしたら、A’Bunadh は「Batch ごとに微妙に違うが A’Bunadh と認識できる範囲を 29 年経験的に学習してきた」制約充足問題です。

Oloroso 100% が何を選んだ判断か

シェリー樽と一口に言いますが、樽のなかで起きている化学はずいぶん違います。代表的な 2 種類を並べます。

元のシェリー樽内で起きる主反応scotch に残る profile
PX(Pedro Ximénez)乾燥葡萄の極甘口糖度の残留earthy(土っぽい) / dried fig(干し無花果) / 油性の強い甘さ
Oloroso空気と長期接触させた酸化系tannin(渋み成分) と Maillard 反応(焼成時の褐変反応)nutty(胡桃の薄皮) / 革 / bitter chocolate / 乾いた重さ

A’Bunadh は first-fill Oloroso 100%。PX より乾いて、ナッツ寄り、革寄り、bitter chocolate 寄りの profile を強く前に出している、かなり極端な側に振った設計です。

さらに樽の材質も乗ります。シェリー樽は基本 Spanish oak(Quercus robur、フランス・スペイン産の欧州ナラ)で作られていて、これは scotch 業界で多用される American oak(ex-bourbon 樽、Q. alba)の vanilla 寄りの優しさとは別の、dry で構造の重い熟成になります。A’Bunadh は (Oloroso 副産物 + Spanish oak の渋み + cask strength の濃縮) という 3 層を、すべて減衰させずに前に出す。「極端な側に振った設計」の中身はこれです。

飲んだときに、舌に届くもの

ここで残りの 2 本を並べます。同じ蒸留所の Aberlour 12(40% ABV、bourbon 樽 + シェリー樽 mix、ノーマルなボトル)と、Speyside の独立蒸留所のシェリー系カスクストレングス Glenfarclas 105(60% ABV、NAS)。価格はどれも量販店で 1 万円前後、Speyside シェリーの「同じレンジ」に揃えました。

まず冒頭で持ち上げた A’Bunadh Batch 79、60.5% ABV、加水なし。最初に来るのは、クリスマス用フルーツケーキを切った断面に鼻を近づけた瞬間の香り。干し葡萄、シナモン、brown sugar、奥にローストした胡桃の薄皮の苦み。アルコールは 60% を超えて鼻を刺してくるのですが、ストーブの上の薬缶が湯気を立てているような、乾いた熱として受け取れる範囲です。

口に含むと、最初の 2 秒は 半年寝かせた干し無花果を温めた湯気。そこに 使い込んだ本革の財布を 1 日握ったあとの指先のような乾いた革のニュアンスが乗り、最後に カカオ 75% chocolate を歯で割った瞬間の bitter が残ります。

A’Bunadh の特徴は、それらが順番に立ち上がって、互いに混ざらず層になっていることです。Cask strength で chill filtration(冷却濾過、油分を除去する工程)を通していないので、長い分子の香気成分が解離せずに口当たりに残っていて、これが「層がほどけない」物理的な根拠でもあります。

ここで指先で水を 3 滴落とすと、一気に香気が解離して、焼き杏の表面の蜜が割れて流れた瞬間のような甘さが鼻の奥から開いてきます。これが A’Bunadh が「加水でこそ開く」と言われる現象の正体で、アルコールが水と混ざって香気成分が遊離するときの香気 explosion です。

ここで Aberlour 12 に持ち替えると、12 は 干し葡萄と vanilla を交互に出してくる、もっと水平で読みやすい瓶だとわかります。同じ蒸留所の new-make(新酒) でも、樽と度数の方針が違うだけで別の portfolio position に着地する

最後に Glenfarclas 105 を並べます。両方とも Speyside の cask strength NAS で似ているのに、瓶の音が違います。Glenfarclas は J. & G. Grant 家の独立蒸留所(1865 年から Grant 家が継続所有)、A’Bunadh は Pernod Ricard 大資本傘下の分業構造。「どちらが上か」ではなく、意思決定の構造が違うと同じ Speyside cask strength でも瓶の音が違う、というのが面白いポイントです。

Chivas Regal と Aberlour single malt の dual channel

A’Bunadh の話で必ず触れないといけないのが、Aberlour 蒸留所の new-make が 2 つの流れに向かう事実です。

ひとつは Chivas Regal 12 / 18 / 25 の core 構成 spirit として、blended scotch 側に大量供給される flow(Chivas Regal は世界の blended scotch ランキングで top 5)。もうひとつが Aberlour single malt brand(10 / 12 / 14 / 16 / 18 / A’Bunadh)として瓶詰めされる flow。

蒸留所 = monorepo、Chivas Regal blend = internal library、A’Bunadh = external SDK ― と整理すると、これは Diageo の Talisker / Lagavulin と Johnnie Walker、Edrington の Highland Park と Famous Grouse、と同型の dual channel portfolio です。

Cruickshank の現場仕事の核心は、warehouse に並んだ樽から「Chivas に出す側」と「A’Bunadh のために残す側」を選別する判断を年単位で実行することにあります。とくに first-fill Oloroso 樽は Jerez の bodega(シェリーの製造所)の生産量に律速されるので、scotch 業界全体で奪い合いになっています。Macallan、Glendronach、GlenAllachie のシェリー系拡大で 2010 年代以降は樽の単価が上がり続けていて、A’Bunadh の vatting を維持するには、ここでの樽確保が前提です。

つまり Marketing 装置として「Batch ごとに違う」を売っているのではなく、生産側の現実が batch ごとに違う組成を強制しているから、その変動を Batch No. として明示している、というほうが因果として正確です。

1879 年から 6 回オーナーが変わった蒸留所が、いま出している瓶

グレンケアンの中の Batch 79 を、もう一度持ち上げます。

1879 年に James Fleming が Spey 川の岸辺に建てた蒸留所が、1892 年に売却され、20 世紀に複数のオーナーを経て、1975 年から Pernod Ricard 傘下。所有者は 6 回変わり、batch 番号は 80 回打たれ、それでもラベルに A’Bunadh と書ける幅は崩れていない

Fleming は A’Bunadh のラベルを見たことがありません。1997 年の launch は彼の死後 102 年です。彼が見て歩いたであろう warehouse の壁とほぼ同じ場所に、いま Cruickshank が選んだ Oloroso 樽が積まれ、Hyslop の vatting 承認を経て、Batch 79 として日本の量販店の棚に並んでいる。

次に A’Bunadh の瓶を開けるときに確かめてほしいのは、「Batch ごとに違う」が marketing の演出ではなく、上流の供給制約と分業構造から自然に出てくる variance(変動)である、ということです。Glenfiddich 12 が「同じ味を 60 年守る」工学だとしたら、A’Bunadh は「Batch ごとに違うが A’Bunadh と認識できる幅を 29 年で経験的に学習してきた」工学。両者は scotch 業界の identity 思想の二極を、同じ Speyside の中で、別のやり方で実装しています。

私は Batch 79 を 3 ヶ月かけて飲み終わるつもりです。終わったら次の batch を、できれば違う番号で買おうと思っています。Batch 80 と 79 は別の瓶で、両方とも A’Bunadh です。その**「両方とも A’Bunadh」を成立させている見えない仕事**が、Cruickshank の頭の中と Hyslop のサインと、Jerez から運ばれてくる樽の年齢分布のなかに、いまも続いています。


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主な参考資料