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Redbreast 12 と Barry Crockett ― 麦芽税が生んだ『未発芽大麦の配合』が、アイリッシュ・シングルポットスチルの口当たりを決めた

テイスティング
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東京の自宅、5 月の夜、室温 22℃。グレンケアン・グラスを 2 脚並べました。左に Redbreast 12、右に Auchentoshan 12。どちらも三回蒸留の瓶です。私の棚は長らく Islay のピート瓶ばかりで、アイリッシュは「いつか飲む」の箱に入れたまま埃をかぶっていました。先に Redbreast を開けて、鼻を近づけてみます。煙はありません。代わりに、温めた蜂蜜と煎ったクルミの匂いが立ち上がってくる。

口に含むと、最初に来るのは味ではなく感触でした。液体に薄い被膜があるような、生クリームを舌で押し広げたときの、あの油性の重さ。40% ABV の瓶とは思えません。これは欠陥でも錯覚でもなく、ある一人のマスターディスティラーが守り続けた、未発芽大麦の配合の、物理的な手触りです。その人物が Barry Crockett です。

蒸留所の官舎で生まれた男

Barry Crockett は 1948 年、コーク州 Midleton の 旧蒸留所の官舎で生まれました。文字どおり、蒸留所の敷地の中で生まれ育った人です。父の Max Crockett が、当時の Midleton のマスターディスティラーでした。

Barry が蒸留の仕事に就いたのは 17 歳、1966 年です。父の見習いとして現場に入りました。1975 年に新しい Midleton 蒸留所が稼働し、1981 年、父の後を継いでマスターディスティラーになります。引退は 2013 年の 3 月。蒸留所での 47 年、うち 31 年をマスターディスティラーとして過ごしました。

日本語のウィスキー誌で彼の名前を見ることは、ほとんどありません。朝ドラの題材にもなりません。それでも、2011 年に出た Midleton Barry Crockett Legacy という瓶があります。Irish Distillers が John Jameson 以来はじめて、存命のマスターディスティラーの名を冠した瓶でした。会社が一人の人間の名前を瓶に刷るのは、よほどの決断です。

後任は Brian Nation(2013–2020)、続いて現職の Kevin O’Gorman(2020–)。O’Gorman も 1998 年に Crockett の下で蒸留を学んだ人です。系譜はまだ官舎の男から伸びています。

税務署を出し抜いた節約が、様式に化けた

ここで Redbreast の中身、シングルポットスチルという言葉を解きほぐします。

シングルポットスチルとは、ひとつの蒸留所で、発芽させた大麦と**発芽させていない大麦(生の大麦)**を混ぜ、単式蒸留器で蒸留したアイリッシュウイスキーのことです。現在のアイルランドの規定では、発芽大麦を最低 30%、未発芽大麦を最低 30% 含むことが条件になっています。スコッチのシングルモルトが発芽大麦 100% であるのと、ここが決定的に違います。

なぜ生の大麦を混ぜるのか。発端は 1785 年の麦芽税です。当時のアイルランドで、発芽させた大麦(麦芽)に課税されることになりました。蒸留業者は考えます。発芽させていない大麦なら、麦芽ではない。だから税がかからない。そこでマッシュビルに生の大麦を混ぜ、納める税を減らしたわけです。

税務署を出し抜くための節約でした。けれど、それが偶然、味を変えた。会計の都合ほど、未来に化けるものはありません。

正確を期すと、未発芽大麦の使用は税より前から知られていました。経済学者 Adam Smith は、麦芽税の前から麦芽スピリッツに生の大麦が使われていたと書いています。税が様式をゼロから発明したのではなく、すでにあった節約をアイルランド全体の標準に押し固めた、というのが実際のところです。それでも、節税が 200 年後に高級ウィスキーの売り文句になっている事実は変わりません。

生の大麦が、舌に残すもの

では、その配合が舌に何を残すのか。

未発芽大麦には、β-グルカンという多糖が多く残っています。発芽の過程で分解されずに済んだ成分です。これがマッシュに粘りを与え、最終的なスピリッツに、あの油性で粘度のある口当たりをもたらします。冒頭で私が「生クリームを押し広げる感触」と書いたのは、ここから来ています。

もうひとつ、生の大麦は青く硬いスパイス感を残します。麦芽になりきらなかった穀物の、刈ったばかりの茎のような匂い。クローブやシナモンといったベイキングスパイスの輪郭が、ここに重なります。これが「ポットスチル・キャラクター」と呼ばれる正体です。

ただしトレードオフもあります。Redbreast は三回蒸留です。蒸留回数が増えるほど、雑味は削れて軽くなる。生の大麦が積み上げた重さと、三回蒸留が削る軽さは、本来は逆向きの力です。Crockett たちの仕事は、この綱引きの中間点に瓶を留め続けることでした。重すぎず、薄すぎず。油性なのに飲み疲れない、という妙な均衡は、ここで生まれています。

Redbreast のマッシュビルと口当たりの関係図。左に発芽大麦と未発芽大麦の配合(最低 30%/30%)、中央に未発芽大麦由来の β-グルカンが生む油性の口当たりと青いスパイス、右に三回蒸留による軽量化のトレードオフを矢印で示す。下に 1785 年麦芽税の注記。

ボトルの履歴 ― 酒商の棚から、蒸留所の手へ

Redbreast という名前にも、人の決断の跡があります。

もともとは Gilbey’s(W & A Gilbey、1857 年創業)というワイン商の瓶でした。当時のアイルランドでは、蒸留所が原酒を酒商に売り、酒商が自前のシェリー樽で熟成させて瓶詰めする「ボンダー」の慣習がありました。Gilbey’s はその一社です。Redbreast の名は 1912 年に登場します。鳥好きだった会長が、コマドリ(robin redbreast)から取ったと伝わります。

Gilbey’s による瓶詰めは 1985 年で途絶えます。1986 年、ブランド名は Irish Distillers に売却されました。そして 1991 年 12 月、Irish Distillers が Midleton の原酒で Redbreast を復活させます。シェリー樽とバーボン樽で熟成させた、現在の形です。

つまり今の Redbreast 12 は、酒商の棚にあった名前を、蒸留所が手元に引き取って中身ごと作り直した瓶です。Barry Crockett が現役のマスターディスティラーだった時期に、その復活は起きています。

飲んだときに舌に届くもの

2 脚のグラスに戻ります。

Redbreast 12。室温で 10 分置いてからノージング。鼻に最初に入るのは、温めた蜂蜜と、煎ったクルミの渋皮。後ろから、クローブを刺したオレンジ(ポマンダー)の匂いが来ます。口に含むと、例の油性の被膜が舌に乗る。中盤に、オーブンで温めた干し葡萄の甘み。続いて、焼く前のシナモンロールの生地のような、粉っぽいスパイス。Oloroso シェリー樽由来の、クリスマスケーキの縁の焦げた甘さが余韻に残ります。

隣の Auchentoshan 12 に持ち替えます。これもローランドの三回蒸留スコッチ。鼻に来るのは刈った芝と、レモンの皮。口当たりは軽く、水のように平らに流れます。同じ三回蒸留でも、発芽大麦 100% の Auchentoshan には、Redbreast の油性の重さがありません。生の大麦を 30% 以上混ぜるか、混ぜないかで、同じ「三回蒸留の軽さ」が、別の身体つきになる。これが舌で確かめられる対比です。

正直に言うと、私は最初、この油性の口当たりを少し持て余しました。Islay のピート瓶に慣れた舌には、煙のない瓶は手がかりが少なく感じられる。二杯目で、その「手がかりのなさ」こそ穀物の感触なのだと気づきました。煙で隠れない分、大麦そのものの匂いが前に出ているだけでした。

価格と、いつ飲むかの話

日本での正規品は、希望小売価格 5,724 円(税込)。実勢は 5,000〜7,000 円帯で、いつでも買える瓶です。アイリッシュの入門としても、値段で身構える必要はありません。

文脈としては、スコッチのシングルモルトしか飲んでこなかった人の、隣の国への一歩目として強い。「アイリッシュはライトで物足りない」という先入観を、油性の口当たりが静かに裏切ります。あるいは、ピートで疲れた夜の口直しにも合う。クリスマス前の、少し甘いものが欲しい夜にも。

「ライト=薄い」ではない、という反例として、棚に一本あると便利な瓶です。

次にこの瓶を開けるときに

Redbreast 12 は、煙も派手な樽感もない、地味な見た目の瓶です。けれど中身は、蒸留所の官舎で生まれた男が守った配合と、税務署を出し抜くための 200 年前の節約と、誰かが生の大麦を 30% 以上混ぜると決めた事実でできています。

次にこの瓶を開けるときは、隣に Auchentoshan か、手元にあればスコッチのシングルモルトを一杯並べてみてください。口に含んで、舌の上の被膜の有無を確かめる。被膜があれば、それが生の大麦の仕事です。煙でも樽でもない、穀物そのものの油性。麦芽税を払いたくなかった誰かの判断が、今夜のあなたの舌の上で、律儀に再現されています。

Barry Crockett は 2013 年に引退し、今は名誉マスターディスティラーとして名前を残しています。彼の名は、ふだん飲む Redbreast 12 のラベルには刷られていません。それでもこの瓶のキャップを開けるたびに、官舎で生まれた男が守った口当たりが、被膜一枚として復活します。月に一度くらい、そのことを思い出しながら飲む夜があってもいいと思っています。


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