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168時間発酵という設計判断 ― Graham Eunson が Tomatin で『同じ味であり続けること』に費やした 1 週間

技術
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ウィスキー業界で「業界最長」と書いてある数値は、たいてい誇張です。

ところがハイランドのある蒸留所だけは、本当に最長を握っています。Inverness の南 25 分、Monadhliath(モナリア)山脈の麓にある Tomatin の発酵時間は 140 - 168 時間。最大の側で読めば 丸一週間 です。スコッチで普及している 48 - 72 時間の 2 - 3 倍にあたります。

しかも、その 1 週間発酵をハイランド最大級の生産規模で回し続けています。年産能力 500 万リットル。1974 年のピーク時には 23 基のスチルを並べて 1,250 万リットルを叩き出し、世界最大のモルト蒸留所でした。今は 12 基(wash 6 + spirit 6)に絞っていますが、それでも Highland 屈指の規模です。

この巨人を、2011 年から 2025 年まで 14 年運用したのが Graham Eunson です。Orkney 島の牛農家に生まれ、大工見習いを経て Scapa の倉庫係から蒸留業界に入った人。彼が Tomatin で何を維持しようとしてきたのかを、技術的に読み解きます。

Tomatin の 168 時間発酵タイムラインの図解。横軸に発酵時間(0 - 168h)、縦軸に ABV(アルコール度数)と pH を取り、48 時間時点で標準スコッチの仕込み終端、72 時間時点で多くの Highland 蒸留所の終端、120 時間以降ラクトバチルスによる secondary fermentation が ester 生成を押し上げる帯、168 時間時点でバナナ・パイナップル・メロン香気成分(酢酸イソアミル・酢酸エチル・カプロン酸エチル)がピークに到達する曲線。Tomatin Distillery 2026 年時点・Graham Eunson 在任 14 年間の運用標準。出典: Maltspedia, Whisky.com, Inge Russell編 Whisky: Technology, Production and Marketing。

なぜ Tomatin はハイランドで最大規模になったのか

最初に位置づけだけ済ませます。

Tomatin Spey District Distillery は 1897 年 6 月 8 日登記、創業者は地元 Tomatin 出身の John MacDougall。1892 年に Highland Railway が Tomatin を通ると発表されたことを受けて、輸送インフラの近くに蒸留所を建てた人です。違法蒸留の伝統は 1700 年代から続く土地でしたが、近代蒸留所としてはこの 1897 年が起点になります。

ただし、本記事の主題はこの創業ストーリーではありません。話は 1956 年から始まります。

スチル数出来事
19562 → 4戦後の市場拡大に合わせた初期増設
19584 → 6第二段階拡張
19616 → 11ブレンド需要急増への対応
197411 → 2312 基同時増設、世界最大のモルト蒸留所へ
1985操業停止世界的ウィスキー不況、Tomatin Distillers 清算
1986再開宝酒造 + 大倉商事の日本資本が買収、スコッチ初の日本完全所有蒸留所
現在(2026)12 基稼働(建屋には 23 基残存)年産能力 500 万 L

ここで重要なのは、1974 年に 23 基まで膨らんだ蒸留所がブレンド原酒(third-party へのバルク販売)のための量産機として作られていたことです。シングルモルトとして売る個性は、設計の前提に入っていませんでした。

1985 年の清算後、1986 年に 宝酒造(Takara Shuzo)と大倉商事(後に 1998 年に Marubeni が引き継ぎ)が買って、はじめてこの蒸留所は「シングルモルト Tomatin」として再定位されます。スコッチ蒸留所が日本企業に完全所有された最初の事例です(Suntory による Macallan 出資は少数株主ベース、Asahi の Ben Nevis 買収は 1989 年)。

Graham Eunson がやって来るのは、そこから 25 年後の 2011 年です。

Graham Eunson という運用工学者 {#graham-eunson}

Eunson は Orkney 島の牛農家に生まれました。大工見習いを経て、地元 Scapa 蒸留所の倉庫から業界に入り、mash house(糖化室)→ stillhouse(蒸留室)→ trainee brewer(醸造見習い)と工程を縦に上がりました。次が Glenmorangie で Bill Lumsden(既出 Brendan McCarron / Glenmorangie 酵母研究 と同じ系譜)の下で assistant manager → manager。Lumsden が本社に移った後を引き継ぎます。

2008 年、Eunson は Glenglassaugh の再オープンを任されました。22 年間沈黙していた Moray 海岸の蒸留所を、もう一度蒸気が立ち昇るところまで戻す仕事です。失敗しても誰も彼を責めない種類の仕事ですが、彼はそれを成功させました。

そして 2011 年、Tomatin に来ます。General Manager として 8 年運用したのち、2019 年に Master Distiller を兼任。2021 年までに業界 30 年、2025 年に退職します。退職を記念したボトリングは 「Legacy Makers」 と銘打たれ、彼の 14 年が液体として封じられました。在任中、Tomatin の売上は 170% 増加 しています。

ここで意図して書きたいのは、Eunson の経歴が**「再オープン屋 → 大量生産機運用屋」という珍しい順序を踏んでいる点です。Glenglassaugh の再オープンは「無からプロファイルを作る」仕事、Tomatin の運用は「あるプロファイルを変えずに 14 年回し続ける」仕事。技術的には対極ですが、どちらも「目標値からのズレを許さない」**点で同じ性格をしています。Tomatin が Eunson を選んだ理由は、たぶんそこです。

168 時間発酵が何をしているのか

ここから本題に入ります。

スコッチで普及している発酵時間は 48 - 72 時間です。理由は単純で、それだけあれば糖の大部分はアルコールに変わるからです。標準的なスコッチ発酵は次の二段階で進みます。

段階時間主役何が起きているか
Primary fermentation0 - 48hSaccharomyces cerevisiae(酵母)糖 → エタノール + CO₂ + 熱。ABV が 7 - 9% まで上がる
Secondary fermentation48 - 72h+Lactobacillus(乳酸菌)残存糖と酵母自己消化物を乳酸菌が代謝。乳酸生成、pH 低下

72 時間で発酵を止めると、liquid(wash と呼びます)の風味は穀物寄り・モルティ寄りになります。多くの Highland 蒸留所がそこで止めるのは、washback(発酵槽)の占有時間を増やすほど蒸留所の年間処理回数が減って、規模に対する不利益が大きいからです。

Tomatin はそこから先、さらに 96 時間を washback の中で過ごさせます。168 時間 - 72 時間 = 96 時間。この追加 96 時間で起きているのが、本記事で書きたい化学です。

後半 96 時間の化学

48 時間を超えると、酵母は糖を食い尽くしてエタノール耐性の限界に近づき、自己消化(autolysis)を始めます。死滅した酵母の細胞からアミノ酸・脂質・ペプチドが wash の中に放出されます。これが乳酸菌の餌になります。

乳酸菌は糖をエタノールにする能力はあまりありませんが、アミノ酸を分解して有機酸(酢酸・カプロン酸・酪酸)を生成します。同時に、wash の中にすでにあるエタノールと、これらの有機酸が脱水縮合してエステル化が進みます。

エステル化の主な反応は次のとおりです。

有機酸 + エタノール→ エステル香り
酢酸 + エタノール酢酸エチル洋ナシ・フルーティ
酢酸 + イソアミルアルコール酢酸イソアミルバナナ
カプロン酸 + エタノールカプロン酸エチルパイナップル・メロン
酪酸 + エタノール酪酸エチル完熟リンゴ・トロピカル

Tomatin 12 年を飲んだことがある人なら、ここで何が起きているかが見えるはずです。「バナナ、洋ナシ、パイナップル、完熟メロン」 という有名なトロピカルフルーツ系のテイスティングノートは、この後半 96 時間で生成された ester の直接の足跡です。蒸留器の銅触媒や樽の熟成で作られた香りではなく、発酵槽の中で乳酸菌が時間をかけて編んだものです。

数値で書くと、168 時間発酵の wash の pH は 4.0 程度まで下がります(標準 72h 発酵だと 4.5 - 4.8)。乳酸の蓄積です。この酸性化された wash が次に wash still へ送られて蒸留にかけられたとき、揮発性の ester が一緒に蒸気側に移ります。

この設計判断の代償

Tomatin が 168 時間発酵を選ぶことには、3 つの明確な代償があります。

  1. Washback の占有時間が 2 - 3 倍: 同じ年産能力を出すには、washback の数を 2 - 3 倍に増やすか、年間処理回数を 2 - 3 倍に減らす必要があります。Tomatin は 12 基 × 42,000 リットルのステンレス washback を持つことで、washback 占有問題を量で解決しています。
  2. 乳酸菌コンタミネーション管理が必須: 後半の secondary fermentation を「狙った範囲」に収めないと、過度な乳酸蓄積で wash が酸っぱくなり、最悪 distillate が薬品臭くなります。Eunson と工程チームは、洗浄サイクル・温度プロファイル・pH 監視で**「ラクトバチルスは入れるが、特定の菌株を特定の範囲で」**運用しています。
  3. エネルギーコスト: 168 時間 = 1 週間、washback の温度を発酵帯(19 - 28°C 程度)に維持する熱管理コストが、48 時間発酵の 3 倍以上になります。

ここで読者は計算したくなりますが、答えは前のテーブルにあります。Tomatin の年産 500 万リットルは、世界最大時代の 1,250 万リットルから 60% 削った数値です。168 時間発酵を維持するために、規模を意図的に絞ったわけです。これは Eunson の判断単独ではなく、1986 年に買収した宝酒造系の経営判断と地続きですが、運用は 2011 年以降 Eunson が握ってきました。

Full lauter mash tun と clear wort の選択

発酵の前段、糖化(mashing)でも Tomatin は同じ性格の判断をしています。

スコッチで使われる mash tun(糖化槽)には大きく 3 系統あります。

種類設計wort の clarity風味プロファイル
Steel’s masher(攪拌式)機械攪拌、麦芽粒子を液中に分散Cloudy(濁る)Nutty、grain-forward、モルティ
Semi-lauter攪拌 + 部分的な穿孔板濾過の中間型中間中庸
Full lauter穿孔板で麦汁を完全濾過、固形分を除去Clear(澄む)Fruity、ester-rich、フルーティ

Tomatin は 9.6 トンの stainless steel full lauter mash tun を使っています。週 14 回の mashing を回す処理量です。

Full lauter を選んだ時点で、wort は clear に振られます。clear wort はその後の発酵で ester 生成を促進することが知られています(穀物粒子の脂質が少ないため、酵母が炭水化物代謝に集中でき、ester 前駆体の生成が増える)。168 時間発酵で ester を最大化したいなら、その前段で wort を clear にしておくのが整合的です。

つまり Tomatin の工程は、**「Full lauter で wort を clear にする → 168 時間発酵で ester を最大化する → 12 基並列スチルで蒸留する」**という、各段階が同じ方向(フルーティ・ester-rich・均一)を向いた直列設計になっています。Eunson の仕事は、この各段階のパラメータを 14 年動かさずに保つことでした。

12 基並列スチルと「中心極限定理」

Tomatin の蒸留室には 23 基のスチルが残っています。ただし稼働しているのは 12 基(wash 6 + spirit 6) だけです。残り 11 基は 1974 - 1985 年の量産期の遺産で、配管は外されています。

ここで効くのは統計の話です。同型のスチルを 6 基並列で運用すると、それぞれの個体差はあっても、6 基の平均出力は中心値に収束します(中心極限定理の単純な応用です)。1 基だけで運用している蒸留所は、その 1 基の調子の良し悪しがそのまま製品プロファイルに乗ります。Tomatin の場合、wash still 6 基のうち 1 基が温度プロファイルから少しズレても、他の 5 基が中央値を維持していれば、最終 spirit のプロファイルへの影響は 1/6 に薄まります

この統計的平均化は、個性を出す方向には絶対に効きません。むしろ個性を消す方向に効きます。だからこそ、均一性を設計目標に置く蒸留所では並列同型スチル運用が有利になります。Wash still 容量は 15,000 リットル、spirit still はそれより小さい寸胴型で、いずれも shell-and-tube の condenser(既出 Mortlach 2.81 回蒸留の George Cowie 設計 の worm tub とは対極の、銅触媒を最大化する熱交換器型)を使っています。

「Characterless」という批判をどう引き受けるか

Tomatin は業界内で時折 「characterless(個性がない)」 と言われます。シングルモルト批評の世界では、これは褒め言葉にはなりません。

Eunson はこの批判を否定しません。否定する理由がないからです。同じ味を 14 年出し続けることが設計目標であって、毎年違うサプライズを出すことは目標に入っていません。批評家が「characterless」と言うとき、彼らが期待しているのは Loch Lomond の straight-neck still のような構造的奇抜さや、Glenfarclas の direct fire のような熱伝達の偏りです。Tomatin はそれを設計から排除しています。

これは Brian Kinsman の Glenfiddich 12 年運用Alexander Walker の Johnnie Walker consistency ドクトリン と同じ系譜の仕事です。「同じ味であり続けること」を芸として認める文化が、批評の世界には十分にはない。けれども市場の側は認めています。Eunson 在任 14 年で売上 170% 増という数字は、その認証です。

ここで一つ、私が読み解いた wit を書いておきます。Tomatin がときに「characterless」と評されるのは、文字どおりに読めば「設計通り」です。Eunson はそれを欠点として直そうとはしません。12 基スチルと 168 時間発酵で同じ味を出し続けることが設計目標だからです。個性を出さないことは、均一性を出すことの裏返しでしかありません。

1986 年買収の地続きで読む

最後に、1986 年の宝酒造買収を技術文脈に位置づけ直しておきます。

宝酒造は本業が清酒と本格焼酎の会社で、発酵管理のノウハウを 100 年単位で積み上げてきた組織です。清酒の三段仕込みは、温度と時間と微生物群を段階的にコントロールする発酵工学の極北で、ラクトバチルスを含む乳酸菌群との共存管理は本業の中心技術です。

168 時間発酵という Tomatin の選択は、宝酒造買収後にいきなり導入されたわけではありません(Tomatin の長時間発酵は 1980 年代以前から記録されています)。ただし、それを 40 年間維持し続けるという経営判断には、清酒メーカーが「同じ味を毎年同じ品質で出し続ける」ことを当然視する文化的下地が効いていると私は読みます。

買収側の宝酒造、運用側の Eunson、そしてその間に介在する Tomatin Distillery Co. の現場チーム。168 時間発酵が偶然ではなく 設計判断として 14 年動かなかったのは、この三者の合意が安定していたからです。Eunson が 2025 年に退職した後、次の General Manager が同じ判断を維持するかどうか、これは観察に値する点になります。

まとめ ― Tomatin 12 年を飲むときに舌で確認できること

私たちが Tomatin 12 年を飲むとき、味わっているのは「フルーティで穏やか」というプロファイルそのものではありません。そのプロファイルが 20 年同じであり続けるための制御工学を飲んでいます。

具体的にどこを確認するかを書いておきます。

  • バナナ・パイナップル・洋ナシのトップノート: 168 時間発酵後半の ester 化の足跡。72 時間発酵の Highland モルトと並べて飲むと、ester 強度の差で識別できる。
  • モルティな粒子感の少なさ: Full lauter mash tun の clear wort 設計。Steel’s masher を使う蒸留所(Glenfarclas、Springbank の一部工程)と比べると、穀物の粗さが少ない。
  • バッチ間のばらつきの少なさ: 12 基並列スチルの統計的平均化。同じ Tomatin 12 年を異なるバッチで飲み比べても、Glenfarclas 105 や Mortlach 12 のような明確なバッチ識別はやりにくい。

1986 年に Tomatin を買った宝酒造の判断は、Glenfiddich の Brian KinsmanJohnnie Walker の Alexander Walker、そして サントリーで樽在庫を引き受ける福與伸二 と同じ系譜にあります。同じ味であり続けることを設計する仕事です。Graham Eunson は 14 年、その仕事を Highland の北端で運用してきました。2025 年の退職を境に、Tomatin の制御工学が次の世代にどう手渡されるかが、これからの観察点になります。


参考文献・一次情報源

  • Tomatin Distillery 公式(tomatin.com)“Graham Eunson ‘Legacy Makers’” リリース告知
  • Whisky Magazine “Graham Eunson retires from Tomatin Distillery after 34 years in industry”(2025)
  • The Spirits Business “Tomatin master distiller Graham Eunson to retire”(2025)
  • Maltspedia “Tomatin Distillery - Whisky Production complete guide”(mash tun・washback・still 仕様)
  • Whisky.com Tomatin Distillery データベース
  • Scotch Whisky.com “Takara Shuzo Company” 項
  • Diffords Guide “Tomatin Distillery Co Ltd - History”
  • Wikipedia “Tomatin distillery”(1897 創業、1974 拡張、1986 日本資本買収)
  • Inge Russell(編)“Whisky: Technology, Production and Marketing”(発酵化学・ester 生成・lactobacillus secondary fermentation)